徒然雑草

踏みつけられるほどに育つ

午前三時は朝か夜か

僕の家路は、寂れた商店街になっている。昔はもっと栄えていたと言うが、見る影は大変に薄い。中途半端に距離が長いから、店と店の間が開いてしまっており、商店街感を今ひとつ損ねてしまっている。そして、寂れた商店街に生きるのはお年寄りが多い。僕の地元もそうだ。新陳代謝が適切に行われなくなると老いていくのは、人間も街も変わらないらしい。

おじちゃんおばちゃんたちの朝は早い。どの世の中でもそうだろう。だからなのか、土曜の朝に商店街は朝市を催している。のっぺりと広い商店街にポツポツとある八百屋さんやお魚屋さんが、朝早くから店前で出店をだす。少しだけ、商店街が活気付く瞬間である。

 

今日の家路で商店街を通ったら、すでに朝市の横断幕が垂れ下がっていた。準備がいいなぁ、前の晩からもう幕を準備しちゃうんだなぁ。ぼんやりと考えながら家に帰った。

道すがら、ふと疑問が湧いた。何時からが朝なのだろうか。

前日の21時前に見た「朝市」の垂れ幕は、明らかにフライングだった。では、当日の何時からだと、朝だなぁと思えるのだろう。子供のなぜなにレベルの疑問である。

この問題、昼と夕方の間や夕方と夜の間は、比較的わかりやすい。

午後3時は昼だ。夕方ではない。しかし、午後4時となると一気に夕方の様相が深まる。午後6時は夕方だけれど、午後7時は夜。日本の社会通念的な時刻感覚なのではなかろうか。

 

でも、朝と夜、これは互いにとろけあっている。

午前2時は深夜である。

午前2時踏切に望遠鏡を担いで行った

これは、誰がどう聞いても深夜の描写だと感じるはずだ。朝早くに望遠鏡担いで行ったんだね〜〜とは思わない。午前2時に朝市の垂れ幕を見たら、夜なのに…と思うだろう。

一方午前4時はどことなく早朝の匂いが強くなる。始発が出る頃だからだろうか。夏の日の出がその頃だからか。朝市の垂れ幕もそこまで違和感はない。

間の午前3時は、どうだろう。午前3時に食べるご飯は朝食か、夜食か。夜食っぽい。けど、午前3時に見上げる朝市の垂れ幕は朝市っぽくもある。明確に朝とも、明確に夜とも言えない時間、午前3時。夜更かしも3時に寝ればなんとか明日も戦えそうだが、4時になってしまうと途端に弱気になってくる。朝の音が遠くから迫ってきている深夜であり、夜の淵から抜け出したての朝だ。

 

真夏日を観測した東京都。まだ乾燥した夏である。日が長くなってくれる分には、本当に嬉しい。明日も晴れるようである。朝市が賑わうといい。