徒然雑草

踏みつけられるほどに育つ

社会の生き方

能力のバラツキとか、デコボコとか。ダイバーシティが叫ばれる世の中においてはよく話題に出る。ADHD、ASD、自閉症はスペクトラム状。みんなが働きやすい世の中がいいよね!障害者の雇用立とかを国から定められながら、銘々、企業は多様化を取り入れている。

健常者と呼ばれる人間でも、もちろん能力にバラツキはある。学校の授業レベルからそうだ。算数ができなかったり、国語が得意だったり、体育は走るのが速くても水泳はダメだったり。十人十色、みんな違ってみんな良い。

しかしこう、高校大学社会人と、資本主義の淘汰に身を委ねて、ハッと気がついたら周りがまじで優等生かつスーパーマンしかいなくなっている。心底、ビビる。能力のバラツキが少なく、しかもそれぞれ能力値が高いように見える人間ばかり。何度浄水器にかけたらこんな水出てくるんだってくらい、清廉な水。清廉な人間だらけである。みんな無理してるのかもしれないけれど、取り繕ったふりするのすら上手い。


一方、僕といえばなのですが、スケジュールの管理がどうやら凄く苦手らしいのと、すごーく小さくて面倒なことを棚上げしまくる性質を持っているらしいので、結構頻繁に失敗をする。

なんでできないんだろうね、どうしたらできるようになるんだろうね、みんな心配しているよ、僕の、私の、指導が悪いね、大丈夫?

みたいな、心があるようで心がないようなご心配を賜り誠に有難うって感じなんだけど、心配されたって仕方がないから、なんとかしようと、さまざまなツールを使って使って、それでも漏れていくものが山ほどある。どうしろと。


誰彼にヤイヤイ言われようと、ヤイヤイ言っている人よりたくさん曲作ってるし、かけっこじゃ負けないし、囲碁で戦わせたら絶対勝つ。自分の能力の中でダイバーシティを担保できてるから、別に気にもならない。けど、社会でちゃんと生きていく能力を身につけるというのはなかなかどうして大変なことらしい。改めて実感している。当たり前にしなきゃいけないことが多すぎやしないか。手帳に予定を書く癖をつけようね、とか、面倒くさいことでもちゃんとやらないと困る人がいるからやろうね、とか、簡単な人には簡単なんだろうけど、僕にとってはもう一大事なのである。


個人的には、愛すべき能力のデコボコなんだけれど、どうやら大変ご迷惑をかけている側面もあるようなので、長短の短の部分には真摯に取り組ませていただく。そもそも、かけっこを含めたその他の部分で、大勢には大きく勝ち越しているのだ。これで短が埋まってしまったらいよいよスーパーマンが誕生してしまうのでは…?と思う。冗談です。


そういうわけで、辛い思いをしながら働いている社会人一同には、ぜひ自分の総合能力を考えてみることをオススメしたい。社会人はとかく、一長も一短も、同じ部分で伸ばしたり凹んだりしている節がある。そんなんで何がダイバーシティだって話だ。一長の長の部分が、社会人偏差に届かなかったからって、それだけの話。大したことじゃない。連中が短してる部分で勝ち越してやれば良いだけだろう。

すると、だいぶ気持ちが楽になる。

そうして開き直りをぶちかまし続けたら、僕のように社会の癌化するのですけどね。

やれる範囲でやっていきましょう、現代。