徒然雑草

踏みつけられるほどに育つ

雨の通勤が面倒な理由がわかった

みなさん気づいているかもしれませんね。なぜ雨が億劫なのか。雨が憂鬱なのか。答えは後ほど。


梅雨入りした東京。向こうしばらくは曇り雨曇り雨と、インフルエンザウイルスがまず生きてはいけないような、湿度にあふれた毎日が待っている。ウイルスに厳しい環境はまず良しとして、宇宙を感じられるような青空が見られないのは苦しい。何しろ当方の故郷オホーツクは年間の晴天時間で全国トップランカーなのである。生来、曇りに向いてない。10年も東京にいると、そこそこ梅雨も淡々と過ごせるようになるけど、心底どうかといえば、及び腰である。


今日も雨降って肌寒い。ちゃんと梅雨だ。会社に行くのが億劫である。気圧か、気温か、イオン的ななにかか。目に見えないものに理由をつけるのは容易い。それが真実なのか、嘘なのかはさておき、罪を着せるのには格好の相手である。

でも、そんなに難しい話じゃないと思うのだ。この面倒くささ、億劫さは、日常の通勤や行動に「濡れない」というファクターが加わることに起因するに違いない。

朝の時間、ただでさえ業務過多になりがちだ。身支度して出かける。無から有を生み出す作業に似たそれは、相当なエネルギーを使う。

その上、濡れないと来たらどうだ。毎日一生懸命クリアしている「朝の支度」というハードル。その最後の一台が異常な高さなのである。ミッションインポッシブル。心が重くなるのも避けられない。


それでも平気な顔して会社へ通うサラリーマン諸君、学校へ通う学生諸君、文句なしに偉い。諸手を挙げて、褒めてあげちゃう。