徒然雑草

踏みつけられるほどに育つ

人の話をちゃんと聞くということ

今になってめっちゃこれが難しい。

相手の意図していることを理解し、自分に求めていることを把握し、答えを出してあげる。自分が思っていることを伝えて、理解してもらい、その通りに動いてもらう。具体的なビジョンを赤の他人同士が確認するのだ。こそあど言葉なぞご法度。

飲み込みが早いのと早合点は似て非なるものだ。飲み込んだものは必ず吐き出す作業が生ずる。その際確実に飲み込んだものを吐き出せるか。理解し、把握したものを、そのままアウトプットできるか。合点しても吐き出せなきゃ意味がない。伝わらないし、伝えられなければ理解していないも同義である。言質を取って、その場限りのなるほどを超えて、自分の動きを想定して、第三者に動いてもらう。

伝言ゲームだなぁと思う。

核は変えずに、自分の意思のオブラートに包んで伝えていくゲームだ、仕事は。さらに、察するとか、ここまでは普通に聞かずにやれよ。みたいな日本独特の非言語コミュニケーションが組み合わさり、ベリーハードな伝言ゲームである。


また、伝言ゲームが極まってくると、みんな言ってることが変わってくる。それぞれの解釈が生まれだす。だから、会議をする。せーので集まって、共通認識を作る。え、お前そんな方向に考えてたの!?って、そこで初めてズレを知る。このズレを早め早めに捌いていかないと、結構取り返しのつかないことになって、偉い人同士が全然違う方向に考えちゃってたり、それを他の組織の人に叱責されたり。それが昨晩の僕であった。勉強になりました。


ここ最近あらゆる段差に躓いて、どこから修正したらいいものかわからない状況になりつつあるけど、一個一個だなぁと改めて律して、今日も段差に躓きに行こうと思う。

骨は折れた所の方が太くなるのだ。骨折は痛いし怖いけど、折らないで生きられるほど賢くはないようである。

一つ一つ、一つ一つ。