徒然雑草

踏みつけられるほどに育つ

勝手にふるえてろ〜孤独とはこういうことか〜

今更ながらも甚だしく、見てみることとしました。 

勝手にふるえてろ

勝手にふるえてろ

 

 

 

イチと二の間で揺れるヨシカの乙女心を描写した恋愛映画としてなど、見られなかった。ヨシカは、僕だ。僕であり、あなただ。人の好意に慣れておらず、不意に寄せられた好意に喜ぶけれど、いつも心の中では彼方に過ぎ去った誰かがしこりのように残る。偏った趣味趣向を抱え、誰に理解されなくても構わないと思っているのに、同じ趣向を持った人に出会ってしまうと自分のことを好かれたかのように心が揺らぐ。グジグジとこじれたコンプレックスを隠しつつ、互いのコンプレックスを突き合う。人助けのふりをして意地悪をして、意地悪をしながらも心底嫌いではない。いつもすれ違う人、いつもの店員さん、いつものあの人を知っているけれど、知らない。それが、社会と私との距離。私が知らないから、あの人も私を知らなくて当然。あの人も、イチも。

人間関係などと容易に言うものの、そもそも関係なんて築けているのだろうか。関係の定義とは。会社の人間と、会社じゃない人間の違いは。

イチとも二とも、会社とも繋がりを絶ったヨシカが、呟く。

孤独とはこういうことか。

こういうこともどういうことも、孤独以外ありえないのだろう。色々な集団に属し、友達には不自由せず、会社でも同僚上司に恵まれ、取り急ぎ寂しさを感じていなかったとしても、ただそれだけ。それぞれの繋がりに、お互いが養分をあげていかないと繋がりは簡単に朽ちてしまう。関係は築かれていて当たり前じゃない。なくて当たり前なのだ。だから、僕らは人間関係を築く。築きたがる。生来孤独で、寂しいから。なぁ、寂しいよなぁ。

 

狂いたくても狂えず、狂ってみてもうまく行かない。死ぬ気でやっても簡単には報われない。思い出は変わらないから美しいし、現実は変わっていくから残酷だ。ヨシカには否応がなしに迫ってくる現実として、二がいた。

まぁ、どんなに苦しくても、意外と死なない。人生そんなもんなのでしょう。

いい勉強になりました。