徒然雑草

踏みつけられるほどに育つ

北海道に何を求めているのか

端的に申し上げて暑い。羽田空港を発った時点と、女満別空港に降り立った時点とで、外気から受ける感覚はほぼ変化がなかった。周りを海洋に囲まれた空港か、玉ねぎ畑に囲まれた空港かの差しか感じ得なかった。

実際、ここ3日北見で暮らしているが、寝づらさで言ったら東京と大差なく、なんなら暑さに対して過剰なまでの忌避がある東京の方が、エアコンガン点けの室外機から温風垂れ流しを各宅が取っているため、室内だけであれば過ごし易い感じはある。寝やすさとかは特に。

 

一種北見らしくない気候の中に降り立ち、「故郷に帰ってきた感じしないでしょ。」「東京とあまり変わらない気候だよね。」と言われれば、本当にそうですねと答えるしかないのだが、果たして、僕は故郷に気候を求めているのだろうか。否。恐らく、そうではない。「今日はいい天気ですね」レベルの表面的なコミュニケーションツールとしては優秀な、「北見暑いトーク」ではあるが、帰省の本質はそこにない。

本帰省でも、故郷の知人恩人とよく話している。帰省の度に会いに行く人たちだ。互いの近況報告をし、半年一年の出来事を浚う。自分の話も何度もする。いろんな人の話を聞く。どんな仕事をしているのか、彼女はいるのか、どうなんだ。

ある意味、帰省のルーティンワークをこなしているのだが、帰省の価値は、こういうところにある。

日々にうずまっていると、気づかないことがたくさんある。虚勢も張れば、虚勢を張っている自分にも気づく。日常を説明して、果たして自分は何をしてお金をもらっているのか、自分の私生活はどうなのかを客観的にみると、もっとちゃんとしなきゃなとか、ここは変えたくないなとか、色々なことに気が付くものである。

日々を走らせながら気が付ける人はいいが、当方器用ではない。たくさん話して、やっと顧みられる。どうせ東京に戻って日常を目の前にしたらどうしようもなくなるのだけれど、一瞬でも俯瞰できるのは本当にいい。

また、自分が問いかけて、自分が投げかければ、いつも会う面々から色々な考えがずるずると出てくる。これも面白い。視座が高く、改めて人間として素晴らしい人なんだな、能力が高い人なんだなと感じることもたくさんある。僕も自分のことをもっと考えねばならんなぁと思う。

 

やはり、僕は人に会いに北海道へ帰ってきている。ご飯でも涼みにでもなく、話しに来ているし、これだけ話してみて、もっと日々話をしなきゃなとも思う。

気づかされることが多い帰省ではありますが、今からおいしいおいしい焼肉を食べてまいります。やっぱ飯食いに帰ってきている部分も多いよね、焼き肉食べよう。ただ、焼き肉を食べて行こう。