徒然雑草

踏みつけられるほどに育つ

ロケットマンを観てきました

観てきました。


エルトンジョンの人生を食らって食傷気味である。ちょっとまだなんとも形容しがたい。

端的に、色々なドラッグを服み、あらゆるものを買い、様々な人とセックスをしたのに、ゲイだというだけで実母から「誰からも愛されることのない人生をあなたは選んだのだ」と言われる心中を思うとやりきれなかった。そりゃ狂いたくもなる。いい母ちゃんなんだけどね、心串刺しになるよね。それでも容赦なくコンサートはやってくる。ドラッグに溺れて心臓発作を起こしても、ビジネスビジネスビジネスビジネス。自分が蹴ったボールでビジネスが回っているはずなのに、気づいたら自分は管理される対象になっているのだ。ビジネス以外の人ってどこにいるんだろうか、愛とは縁のない人生なのに、友情もないのか。

そんなあなたに、バーニートーピンである。少なくとも作中で、エルトンジョンはバーニートーピンに生かされている。歌詞の提供も、常識人としての忠告も、友情も含めて。あらためて、これまで音でしか捉えていなかったエルトンジョンの歌詞を字幕でまじまじと読むと、エルトンジョンの心中も、バーニートーピン自身の心中も、本当にうまく読んだ曲が多い。彼としては普遍的な感情を歌詞にしているだけなのかもしれないけれど、ロケットマンあたりはどう考えてもエルトンジョンのことを歌っているとしか思えなかった。イエローブリックロードもあんな曲だとは知らず。農家に帰りたいって、マジだったんですね。

いやが応にも、人間は言葉でコミュニケーションをとる。感情も言葉にこもる。歌詞に曲を付けて歌にしたエルトンジョンは、どれだけバーニートーピンの言葉に救われたのだろうか。きっと俺の歌だ、と思って歌詞と向き合っていたのだろう。ユアソング、である。


全然噛み砕けていない。

そもそも、僕はもう、エルトンジョンが好きで観ているわけで、しかもディープなファンではない(本物のエルトンジョンはこんなんじゃない!人生を捻じ曲げすぎだ!みたいなことを思うほど詳しくもない)ので、観る前から負け確な訳だ。どうなのだろうか。この映画は、ロケットマンは、エルトンジョンの曲に親しんでこなかった人にもウケる内容だったのだろうか。

全くわからない。

誰か連れてもう一回くらい行こうかと思う。