徒然雑草

踏みつけられるほどに育つ

あー だから今夜だけは

鮮やかな朝焼けの後、土砂降りに濡れる東京は大田区。この雨は労使会議を前に礫のごとく課題を浴びせられている僕の心中を表しているのかなんなのか。段取りが悪かっただけです。ぐうの音も出ません。

雨の日はバスで通勤することがある。自費だが、15分土砂降りの中歩くのを考えると乗っちゃった方が…と思う。雨のバス停で待つ。何人か同士がいるが、ここは大都会東京である、コミュニケーションなぞとるはずもなく、それぞれにスマホを見つめる。付和雷同の美学だ。

雨の日には、多少の音であれば雨音にかき消される。だから僕は雨の日、なんとはなしに曲を口ずさむ。絶対に誰にも聞こえない、雨音より小さな声で。

たまたま口をついて出てきたのが、心の旅であった。


あーだから今夜だけは 君を抱いていたい

あー明日の今頃は 僕は汽車の中


チューリップ、財津和夫のメロディセンス炸裂である。こんな親しみやすいメロディはなかなか作れたものじゃない。

ポツポツと口ずさむ中で、この唐突な歌い出しはなんだ?と疑問に思った。突然「だから君を抱いていたい」と言われても、因果とは?因果はどうなった?と混乱してしまう。

改めて歌詞を調べてみると、いわゆるAメロの部分で状況説明がされていた。

旅立ちを前に、別れなければいけない苦しさを訥々と述べる主人公。眠っている君をポケットに入れて持ち去りたい。けど、できない。自らを納得させるように、愛が終わって、また心の旅が始まるのだと結ぶ。

「だから、今夜だけは、君を抱いていたい」

なんと単純かつ強力な論法だろうか。

社会常識となりつつある「結論から述べよ」を体現し、理由も申し分ない。業務レポートにでも使えるんじゃないか。僕が社長なら業務命令で抱かせてしまうだろう。そりゃあ抱いていなよ、抱いてたほうがいいよ、と、心底思ってしまう。


一体、そんな叙情的な心の旅はいつできるのだろうか。旅をしても、帰ってくるのは雨の大田区である。身も心も、雨の大田区だ。雨の大田区に帰着するとわかってしまうから、別に君を抱く理由にもならず、何をする理由にもならない。なんと酷い。

さて、働きます。