徒然雑草

踏みつけられるほどに育つ

酒に弱くなっているのではなかろうか

酒に弱くなっているような気がする。以前は無敵を誇ったとか、一升飲み干したとか、華々しい経歴のない我が飲酒人生だ。でも一丁前に飲まれることは多く、たくさんの失態を犯してきた。法律を犯した飲み方をしていないのが救いだが、法律以外の踏み倒していいモラルは色々と踏み倒してきている。言う人を選ぶ失態は多い。

最近、酒量と酔い方と苦しみ方が比例しなくなってきたと感じる。2年ほど前、毎夜毎晩、散々飲み散らかした当時であれば、だるまのごとく倒れても起き上がり会社に行っていたものだが、倒れるのも早くなり、倒れたら起き上がるのに相当の気合いと痛みを負うようになった。これは進化か、退化か。

そもそもの体調面もそうなのだが、そろそろ酒に飲まれてぶっ壊れるのが面白くない年に入りつつある。これは結構辛い。

社会に出て、社会と絡み合っていく中で僕は酒を飲む楽しさを覚えた。学生時代にはなかった楽しさだった。酒が暴く自らの本性と向き合い、素面では理性が抑え込んでいる思想を語らうことの楽しさ。度々壊れる楽しさ。若手の盛りで、一兵卒として当たって砕けろ玉砕ゲームができていたころは、それでよかった。

が、人生30年の足音がシトシトと迫り来る昨今。一つの会社で5年勤め、直属ではないものの後輩ができ、プレーヤーの立場から一つステージが上がろうとしている昨今。ぶっ壊れて飲酒の武勇伝を作る年でもなくなりつつあるのではなかろうか。これはバイオリズムが飲酒に敵わなくなることよりも寂しいことだ。青春が音もなく終わっていったような、夏至を通り過ぎていったような、独特な寂しさを感じている。

まだ、ともに酒を飲み、馬鹿ができる友がいるだけいい。しかし、家庭を持ち、子を持ち、次の世代にゆっくりとバトンを渡しつつある我々世代だ。いつどうなるかわからない。お互いに、だが。

 

先日の二日酔いは至極苦しいものだった。胃液が底を尽きるほど吐いたが、今考えてもそこまでの酒量ではなかった。なんだったのだろう。次の深飲みで判明するだろう。失態を重ねるか。案外大丈夫か。大丈夫なら飲んでいいわけでもなかろうが、でも、まだ、壊れる刹那さを抱えて生きていたいのである。