徒然雑草

踏みつけられるほどに育つ

旧友と再会してきた

友人と知人の境目はどんなところにあるのだろうか。恋人と友人との境目より、それは圧倒的に曖昧である。年賀状や中元歳暮の文化が希薄化した現代だからこそ、なお、曖昧だ。しかし、一度友達になってしまえば、その人とはずっと友達である。特別な諍いや啀み合いがない限り、友達はずっと続いていく。不思議なもので、普段付き合いの浅い友達の方が接触の少ない分薄く長く友達として繋がって行けたりする。

 

先日、ひょんなことからFacebookを更新した。こうしたブログでは雄弁多弁を極めるが、名前と顔が割れてしまっている人たちに対してのアクションがどうもこっぱずかしく、平素よりFacebookを苦手としている。だが今回、どうしても過去に縁があった方々にもお知らせをしたい出来事があったため、便利に使わせていただいた。

ありがたい反響をいくつかいただき、コメント欄は懐かしい名前が並んだ。東京にいる人たちとは久々に会いたいなと話し、今日、そのうちの一人と会ってきた。

 

彼とは陸上競技を通しての付き合いだった。僕の走力が栄華を極めていた頃、北海道の代表合宿で仲良しになった友人だ。僕は大学でダメになったが、彼は大学でも速かった。すごいやつである。

その合宿以外に付き合いがあったかといえば、ほぼない。これまでの人生の1週間分、寝食を共にしただけの友人だが、不思議とまた縁が繋がった。不思議なものだ。

 

彼と2人で、かつて親父やその友人と行ったことのある天ぷら屋に入る。やや10年ぶりの再会である。共通の話題といえば当時の陸上の話だったり、合宿の話になるが、全く陸上の話は出ず、今何をしているかの話ばかりをしていた。旧友との話にしては珍しいパターンのように思う。

彼は内装会社の社長になっていた。

そこにたどり着くまで、介護の会社・ニート・雇われ内装職人と渡り歩き、今に至るとのことだった。金回りはそこそこいいらしい。素晴らしいことである。

よく起業したものだなぁと話した。しかし彼にとってみれば、「雇われ内装職人をしていた頃に実務も現場監督も経理もやったし、どれだけ働いても20万程度しか貰えないとかコスパ悪いと思って企業した。」だけだという。理路整然としている。

 

とかく、起業といえば新しい市場に繰り出していくイメージを抱きがちだが、なんの、そればかりではない。個人タクシー型起業ともいうべきだろうか、現職とバチバチに競合する業界での起業も十分成り立つようだ。内装だと手に職である。あとは施工の全体感を掴めさえすれば、必要なのは資材だけ。前職の頃についていた顧客をそのまま引き抜く形で起業を行っていた。

僕は一部上場の企業に勤めていて、今の世の中からしたら大きな組織の中で働いている。メリットとして、たくさんの人の中で働けることが挙げられる。驚くほど優秀な人だったり、狡くも賢くもある人たちの考え方を勉強することができる。一方で弊害もあり、友人が行ったような全体の様子を掴んで企業のような動きが取りづらい。とにかく組織が大きく、会社という生き物がどういったメカニズムで生存しているかわからないのである。

小さい会社を起こしてぶん回している彼の話は非常にシンプルだった。

仕事をとってきて、最低限の価格で最高のパフォーマンスを行い、クレームには即時対応し、時間をこじ開けて事務処理をする。自分でわからないことは人を頼る(税理士を使う)。自分の休みは確保しないと倒れるから適度に休む。ギリギリこなせるくらいの仕事量になるようコントロールする(ほぼ失敗するらしい)。

その通りでしかなかった。

鶏が先か卵が先かの話になるが、そもそも商売のキックオフはモノかサービスを販売することから始まる。そのため、販売以外の業務は販売付帯業務にすぎない。僕なんか今人事にいて、事業所内に労政上の課題がないか、労働基準法や労働安全衛生法に準じた勤務を取れているかをチェックする役割をになっている(労組との事務折衝も)が、それら全て「従業員」が生まれてこその存在であり、会社の生命活動である「販売」には直接関わっていない(販売をする従業員の状況を確認しているから間接的にはもちろんめっちゃ関わってる)。実際、友人は労務管理なんて知ったこっちゃない状況での労働である。でも決算はしなきゃいけないから財務諸表は覚えたらしい。生きた知恵。

一にも二にも、売り上げと利益でしかないなぁと感じた。そしてそれは大きい会社になればなるほど忘れ去られがちになる。エンドユーザーの満足、すなわち社会貢献。対価としての売り上げ。売り上げ以外は、おまけだ。

 

しかし、旧い友達と話すのは本当に楽しい。小説を読んでいるかのように人生に触れられる。価値観を垣間見ることができる。月に一人ずつでも声かけて久々に話す一席を設けるようにしようかと思う。

 

満腹の胃袋が小慣れてきたので、筆を置く。