徒然雑草

踏みつけられるほどに育つ

ボクの自学ノート~7年間の小さな大冒険~を観て

先週だったろうか、真夜中にブログを書きながらNHKをつけていたら、不意にドキュメンタリーが始まった。こんな時間に…?と思ったがどうやら再放送らしい。

www.nhk.or.jp

梅田明日佳くんの物語。上のページの番組情報を引用する。

リリー・フランキーや最相葉月が称賛する中3男子が書いた作文が密かな話題を呼んでいる。昨年の「子どもノンフィクション文学賞」で大賞に輝いた北九州市在住の梅田明日佳君による作文だ。彼は自らテーマを決めて学ぶ「自学」を小3~中3まで人知れず続けた。なぜ、彼は自学を続けたのか?自学によって起きた数々の“奇跡”とは?地域のさまざまな大人との交流を通して成長した7年間の軌跡を彼の「自学ノート」からひもとく。

自学。

梅田くんが通っていた小学校で行われていた宿題のような活動。どんなことでもいいから、ノートを埋めて先生に提出する。ある児童は数学のドリルを解き、ある児童は漢字の練習をする中で、梅田くんは新聞を切り抜いて記事に対する感想を書き綴った。新聞の地域欄には梅田くんにとって身近な話題が掲載されていた。新聞がとても身近な存在に感じられた梅田くんは毎朝新聞を読むようになり、興味を惹かれた記事を切り抜いて感想を書くようになった。梅田くんの自学である。

先生に見せて、感想をもらう。褒められる喜びを知ると、動機付けが深くなっていく。梅田くんは3年生から6年生まで欠かさず自学ノートをつけた。

中学生になって、学校にノートを提出しなくてもよくなったが、梅田くんは不惑一筋、自学を続けた。運動が苦手で、口頭でのコミュニケーションが得意ではなかった梅田くんは友達も少なかった。どうにかこうにか学校に行っている状況だったが、自学だけは好きで、学校終わるとすぐ家に飛んで帰り、自学ノートをつける日々を送った。

中学に上がると、自学ノートを見せる人がいなくなってしまった。そこで、彼のお母さんのアイデアで市内の文化施設を巡るようになる。司書さんや、職員の方々に文化施設が新聞記事になった際に書いた自学ノートを見せて、感想をもらうようになった。

自学ノートを見せる対象が学校の先生から、市の職員や街の時計屋さんの社長に変わっていった。それでも、ノートを見せて、喜んでくれる人がいることが嬉しく、梅田くんは繰り返し繰り返し自学ノートを書いた。

その、足跡。何を考え、何を感じながら自学ノートを書いたかを綴ったのが、「子どもノンフィクション文学賞」を獲得した作文だった。

 

久しくテレビなんてじっと観ていなかったのだが、どうも引きつけられてしまった。梅田くんと彼を取り巻く人たちが、自学ノートの取り組みを褒めて伸ばして、梅田くんの言葉と感性をメキメキと伸ばしていった過程は感動的だった。一方で、いわゆるちょうどいいコミュニケーションを取るのが苦手な彼がこの先どう育っていくのかといった漠然とした不安と期待が、重低音のように作品を包んでいるように感じた。

 

誰しも、いずれ社会に出ていかなければならない。方法は様々あるだろうが、「社会」という形のない大地に放り出されて、企業に帰属したり、学府に帰属したり、特に帰属しなかったりしながら、生きていく。

当然といえば当然なのだが、教育現場は社会に出るまでの準備段階と言える。他人に囲まれ、基礎教養を叩き込まれる中で、人間関係にも揉まれていく。リトル社会である学校で練習をして、各々が各々の方法で社会に出る。

今の教育現場の実態を詳しく知らないが、30年前、40年前から比べて、個性を重視するような教育を行っているのではないかなぁと漠然と考えている。僕が受けた教育もその気があった。それは、社会の形に準ずるように学校教育の形も変わっていくからであろう。少子化、高齢化、労働生産人口の減少。儲からない国になりつつある日本においては、もはや横並びで一生懸命コマとして働く人材の価値は低く、個性と知性でゴリゴリやっていける人材が歓迎される。

 

梅田くんの取り組みが芽をだしたのも、個性を大切にしようとする周りの人間がいたからだ。先生が褒めなければ、お母さんが無理やり違うスポーツでもさせていたら、市の職員が誠意を持って対応しなければ、きっと芽は潰えてしまっていた。

では梅田くんの前途がものすごく明るく映っていたかといえばそうではない。あまりにも実直で、口下手で、学校ではなかなかうまくいかない彼の未来を心配する声も、ドキュメンタリー中に上がっていた。

 

社会は、「最低限できていなければいけないこと」がとても多いように感じる。少なくとも僕が生きている社会はそうだ。最低限、人と話すときは相手の目を見なきゃいけないし、敬語も使えなければいけないし、謙譲語と尊敬語を間違えてはならない。返事をして、寝癖は整えて、与えられた業務をソツなくこなしながら、効率化を行い、組織の課題を見つけ、潰していく。五体は満足の方がいいし、五感も満足にないといけない。

これが、最低限である。

最低限に満ちていないとスタートラインにも立てない。最低限をクリアしてからは加点方式だが、最低限に満ちるまでは原点方式でカウントされる。

そうした社会を眼前にしたとき、最低限に満ちていない部分がありながら、他の部分において圧倒的な能力を有する人間の生きる道は、困難なものとなる。梅田くんや彼の周りの人たちがに感じていた不安もおそらくそういう類のものではなかったか。「多様な人材を求めている」と社会は門を開いているクセに、実は、最低限のフィルターの目は細かい。

 

梅田くんのような…というと語弊があるが、「能力の波が大きい人間」を活かす教育体制と、受け入れる社会。これを達成するためには先に社会をどうかしなければいけない。人が長く生きていくのは社会だからだ。ではどうすればいいかといえば、「最低限できていなければいけないこと」のなかで、「実はできていなくてもいいこと」を洗い出して、少しずつ最低限のフィルターを粗くしていくことではないかと思う。

社会を構成している企業内であったり、企業と企業の関係だったりのなかで、共通の認識として醸成されてきてしまったたくさんのしきたりや文化はなかなか取り払えるものではないだろうが、実際それが原因で悩み、将来の見通しに影が立ち込めている人もいる。活躍すべき人材なのに、である。

 

彼のような技能があれば、アカデミックやアートの道も開けていく可能性もある。だが、狭き門には変わりがない。何の変哲もない社会人になっていく人がほとんどなのが、今の日本だ。そうしたとき、社会が有する最低限を見直す必要もあるのだろう。今後僕が社会のなかでどういったポジションに置かれていくかわからないが、せめて自分の周りは不必要な最低限は取っ払って行きたいなと思う。

 

最低限を見直す提言をしていく必要があるかもしれませんね。

お後がよろしいようで。