徒然雑草

踏みつけられるほどに育つ

「パラサイト 半地下の家族」感想〜必死に生きた先の喜劇と悲劇〜

めちゃめちゃ話題になっている映画を観てきました。

 

www.parasite-mv.jp

 

パルムドールを獲得して、いよいよオスカーを手中に収めるのか、どうなのか。。。アジアの映画としては快進撃とのことだ。映画界隈に詳しくないが、すごいことらしい。

監督はポン・ジュノ。韓国の方だ。映画にとにかく疎いので、ポン・ジュノの作品と言われても全くピンとこない。本当は作風とか背景までを合わせて話を読み解ければいいのだろうけれど、知識不足である。さらに韓国にも疎い。韓国ドラマのタイトルはいくつか知っているが、1秒たりとも観たことがない。TWICEは可愛いと思うが、何人いるか確証がもてていない。多分9人ですよね?マジでその程度である。

ただ、有名だから、、、話題だから、、、と、恐ろしくミーハーな気持ちを提げ、胸を張り、2時間たっぷり観賞した。

 

物語の幕開けからは、全く想像のつかない着地を見せる映画だった。ピッチャーがキャッチャーに対して放り投げたボールが、放物線を描かずに、何らかの力が働いて渦巻きながら舞い上がって、隣のグラウンドでやってたサッカーのキーパーのところに飛んでったような。これをどんでん返しというのであればそうなのだろう。

 

だが、ネタバレ禁止だという。

面白さと怖さのために冷静な気持ちで観賞ができなかったため、パンフレットを買って帰り、物語が編まれた背景までゆっくり紐解こうとしたのだが、紙面にポン・ジュノ監督から「ネタバレ禁止だからな!よろしくな!」ってメッセージが寄せられているので、全く映画の内容には触れないでおこうと思う。

しかし、この映画から感じたことを伝えるためには、どんでん返しの一部は不可欠である。まぁよしなにやっていこう。

 

平たく言えば、家庭・家族が崩壊していく物語である。

キーとなるのが、格差だ。収入の差がもたらす社会的格差。作中では、「地上」と「半地下」と「地下」して表される。社会的立ち位置の異なる立場の家庭・人間。地上の人間からは、地下の人間のことは見えておらず、全く関与していないような気がしているが、地下の人間から地上の人間はよく見えているし、地上の人間の恩恵に預かっている。この、鈍色の相関図が白日の下に晒され、事件が巻き起こっていく。

始まりは喜劇のような本作だが、着地点は喜劇とは言えない。どちらかと言えば悲しい物語として幕を閉じる。話はコロコロと転がって、喜劇と悲劇のいろいろな側面をスクリーンに写しながら、悲しい顔を見せて止まる。

なぜ、「パラサイト」は悲しい物語になったのか。

登場人物の中に明らかな悪意があるものがいたかと言えばそうではない。地上・半地下・地下。それぞれが懸命に生きようとした。人生に染み付いた匂いが異なる人間同士が、いつもより少しだけ深く関与した。それだけなのだ。

 

一生懸命生きているのに、悲劇に着地してしまう作品。これは何を意味しているのかというと、一生懸命に生きている舞台に一石を投じていると考えられる。

つまり、韓国社会のあり方に対するアンチテーゼだろう。

本作を観てから、まとめサイトで韓国の情勢について調べたけれど、格差の広がりはえげつないほどらしい。今の僕のように、「駅から徒歩15分ちょっとかかる1Kのマンションに一人暮らしだけどネット環境が整った部屋でぬくぬくと今日観に行った映画の話を書ける層」みたいな絵に描いたような中流層は日本より少ないようで、裕福か貧困かの二者択一社会が広がっている。

その代名詞が、半地下と北の攻撃から身を守るためのシェルター付き豪邸なのだろう。懸命が報われない社会の悲しさを表した本作である。メッセージを痛いほど感じた。

 

 

個人的な話をすると、この先どうなるかわからない展開を直視することができない。以前も似たような話をブログに書いたのだが、この性は何年経っても治らない。

 

ktaroootnk.hatenablog.com

 

ちゃんと物語を掴んで、ポン・ジュノの思いを汲み取るためには、もう一度、展開を把握した上で観ないといけないなと思っている。

 

以上。