徒然雑草

踏みつけられるほどに育つ

修飾とかやめたい

何も考えないってすごい。めっちゃ楽だ。天衣無縫、天真爛漫。字面からは想像もできないほどに楽だ。それも、こないだのライブハウスみたいに相当の刺激を受け取って、その上で好き勝手動くとかではなく、能動的に思いつくままに動いて構わない環境。そんなにはないけども、幸せだ。

なんだろう、もうこういう簡単なことを難しくいう癖からしてなくしてしまいたい。読みやすい小説とかってあんなに文章があるのになんでああもスラスラと目が動くんだろうか。きっとものすごいテクニックがつまってるんだろうな。簡単なことをそれなりの量の文章で読みやすく伝えるテクニックが。物書きすげーわ。資本の少ないだけに奥の深さが反比例してしまっている。

歌詞もそうだ。簡単で読みやすくて聴きやすい割りにすごいこと言ってる歌詞とかに痺れる。そういう言葉の組み合わせがありましたかと。なるほどと。愛してるの響きだけで強くなれる気がしたとか、ポピュラーになり過ぎて何も感じないけど何度か割れた卵から人生を悟ってみようかと思ったけれど、結局は卵が割れた歌詞しか書けなかった。


楽しいの対価の心地いい疲労感の中に胃痛らしきものが見え隠れするけど、そんなもん知らない。気のせいだ気のせい。普段健康が何か引っかかることがあると猛烈に気になる法則のせいだ。なんちゃーない。

明日からまた日常がくるんくるん周り始める。まだ回り始めたばかりのしょぼい日常だけれど、回っているには違いない。回すのは自分自身なわけで。息抜きと息入れを繰り返しながらやりくりして行くのですね。

ライフマラソンは続く。