徒然雑草

踏みつけられるほどに育つ

それ、誰目線よ

1日に多い日で100件程度のメールが入り、電話は30件ほどかけ、同程度の数の着信が発生する。3年ほど本状況下におかれている。慣れてきてはいるものの、それまで生きていきた情報量とは一切異なる状況下に置かれていると、たまに思う。一切の情報を遮断して自分の内面に潜り込み、曲と詩を考えていたい人間が、よくやっている。偉い偉い。

最初の頃は、情報の濁流に飲み込まれ、あわあわしている間に1日が終わっていくような状況だった。めちゃくちゃ辛かった。が、組織の中の自分の立ち位置と役割が把握できてくるにつれ、どの情報がなぜ自分のところに流れてきてきているのかを理解するようになった。

つまるところ、全ての情報は自分に何かをして欲しくて自分のもとにたどり着いている。

「知っておいて欲しい」だけのものもある。が、知っておくということは責任の一端を担うということであり、知った上で自分がどのように行動するか、何かにスタンバイしておく必要があるかを考えなければならない。「締め切りがある資料」もあれば、「お時間ある時に返信ください」もある。「お時間がある時に…」は、目にして10分間で対応しない場合は、記憶の彼方に葬り去られる。本当に必要な情報は日限を区切って要求をしろと思う。

連絡してきた人、情報の内容、日限を総合的に判断して、何からどう対応していくかを考える。とにかく、自分がどう動くかを考える。自分がどう動くか、自分はどうするべきか、自分への指示はあるか、自分ならどうするか。

 

自分の影響の範囲内でどうすればいいかを考えるように(仕事上どうしても考えさせられるように)なると、批評的に物事を論ずる人間が得意ではなくなってくる。何目線で、どの立場での物言いなのか。あなたが言っていることに対して、あなたはどのように行動をし、どのような結果を出しているのか、もしくは出そうとしているのか。と、思ってしまう。それ、誰目線よ、と。

 

偉そうに話すが、ただ、自分が今サラリーマンとして実業界に身を置き、たまたま情報が多く飛び交う部署にいるからこのように感じるだけだ。実業界の人間に提言をすることがミッションの人間もいるし、「三密」と言う言葉の誕生を含めた一連の新型コロナウイルス対策は分科会の提言と実業界の仕事で成り立っている。一日の長同士を出し合って、補い合っているのが社会である。

 

そういうわけで、批評的な論が飛び交うワイドショーのような番組がいよいよ見られなくなってしまったという話であった。人間というのは最も時間と脳味噌の容量を使っている物事に偏っていく。本当はもっとフラットに佇んでいたいのだけれど。うまくはいかないものである。