徒然雑草

踏みつけられるほどに育つ

消灯指示への力学

3度目の緊急自体と、世の中では騒がれている。緊急緊急と言えばいうほど、緊急の味が損なわれるのは皆が承知の通りであるが、緊急を定義し緊急に該当する状況なのであれば緊急は緊急である。

緊急事態宣言に際し、東京都は夜8時以降の消灯を要請するらしい。罰則規定がある中で、要請は要請の皮を被った指示である。電気消せ、粛せ、緊急事態だから。と、語気強く行政が吠える。呼応するように、電気は消え、世論が叫ぶ。オリンピックとの整合性がない、補償がない、遅い、意味がない。

しかし、いち企業のいち事業所においての外交官のような仕事を仰せつかっている中で、「電気消す」発想に至る思考の過程と力学がわかる気がして、ものすごく面白い。

察するに、これまで2度の緊急事態宣言の効果が十分ではなく、変異株の脅威がこれまで以上に大きいという認識のもとで、具体的な行動として、市井の人々にどのように危機感を持ってもらい、どのように効果のある対策にするかを考えたのだと思う。野党からもより強い規制を!とか言われている。何をどうするか。「休業」は要請した。一定の効果を得たが、より強い効果が必要だ。どうすればいいのか?そうだ!「休業」で弱いなら、「消灯」にしよう!

思考の順番は、そんな感じがする。

目的や理念と、具体的行動は乖離をしがちだ。「Aを達成するためにはBが前提になければならず、そのためにはまずCに対してDをEにしなければならない。だから具体的にCに指示するのはβです!」とかって話が普通にある。事務方はもっともらしくロジックを固める。トップはトップで時間がない中で事務方の説明を聞いて、それだけ考えてそれならそれしかないんだわって声高に「消灯!」と言う。間違っていないプロセスが導く、間違っていそうな結論。でも、間違っていそうと思う人たちよりも何倍も何倍も考えて至った結論。実行するというのはそういうことである。民が何を言おうと、トップを選んだのは民だという究極の天つばを盾に、反省して、考えて、行う。

しかし,事実としてたくさんの生活が破綻している状況踏まえると、考えた道が間違っていたのかもしれない。わからないが。たくさんの人に尻を叩かれ、評されながら、与党はやるしかないのである。やれ!と、思う。でもそれは、まだ僕の生活に魔の手が迫っていないからだとも、思う。