徒然雑草

踏みつけられるほどに育つ

29歳になってひと月と少し

本年9月をもって29歳となった。十進法の世界で生きる僕たちにおいては、十の位が繰り上がることにやたら意味を見出しがちである。日本人初の9秒台、100打点、10勝ならず。そういう観点からは30にも満たない微妙な年齢なのだが、まぁ、どうあれ一つ歳をとった。

29歳は父が実父を亡くした歳でもあり、母が千葉から北海道に嫁ぐ決心をした歳でもある。29歳に重要なライフイベントが巡ってきている父と母であるが、私は28歳のうちに結婚をした。父と母は今のところ元気である。そのままであれ、一族郎党皆健康であれ、と願う日々だ。これは、コロナ禍においてはあながち冗談じゃなく。

 

すっかり秋も深まりつつある。

道東生まれの田舎者がついに山手線の内側に進出してきたことは以前記した通りだが、文京区は千石。非常に静かかつ自然豊かだ。これまで暮らした錦糸町や蒲田にはなかった落ち着きを感じている。

不忍通りと白山通り、大きな通りの交差するあたりに千石の駅があり、不忍通りを南東に進むと我が家に近づく。流石に大通りは車通りも激しく騒がしいのだが、一本道を入ると嘘のように静まり返る。閑静な住宅街だ。一軒家が立ち並ぶ街並み。東京での金銭感覚を把握したサラリーマンとしては、この辺りに一軒家を構えられる収入がある衆は果たして何を生業としているのか不思議に思う。そんな見方ができるようになった29歳、大人になってしまった。

街並みの中、集合住宅の廃屋が向かい合っている場所がある。駅から5分ちょっと。なんの利害があって次の宅地にならないのだろうか。双方ともに集合住宅だから、そこそこな大きさがある。物静かな金剛力士像のようだ。駅を背にして左側の廃屋は二階建てアパートだ。アパートとはいえ、戸数は10ほどあろうか。比較的大きなアパートである。壁は白いモルタルでできており、地面は丁寧にレンガが敷き詰められている。どちらも年季が入っており、モルタルの3割は風雨で侵食されて灰色に剥げ落ち、レンガの隙間からはそこかしこから雑草が顔を出す。敷地の中央には、大きな金木犀が育っている。伸びた枝は2階の屋根を越えんばかりにまで育っている。2階の廊下は枝に迫られて歩けたものではなさそうだ。おそらく、植えられた木が手入れされなくなり、伸び放題になっているのだろう。少し前の季節には、あたりが金木犀の香で満ちていた。双璧をなす廃屋は5階建ほどのマンションである。以前は1階部分が病院か何かだったようで、建屋の中央にはテンパー扉が据えられている。左側の廃屋よりは整った様子ではあるのだが、かつては整備されていたであろう前庭は、今や芦生原生林のごとき様相だ。藤棚のような囲いはあるのだが、藤ではない普通の雑草が棚を突き破らんほどに伸びている。目を引くのは大きな柑橘系の木である。誰が食べるでも、誰がみるでもないであろう実を黄色く実らせている。

帰り道、廃屋と廃屋の間で立ち止まることが多い。左には金木犀の廃屋、右には柑橘の廃屋。互いに伸び放題となった草木の中には秋の虫がたくさん住んでいて、りーりーしんしんころころと思い思いに鳴いている。四方八方から鳴き声が聴こえるため、通りの中央に立って目を瞑ると、音の霧に包まれたようになる。

 

日常の中で自然の音に耳を澄ますことをしていなかった。

北海道にいた頃は、夜、近くの草むらでおそらく蛙が鳴いているであろう声をよく聴いた。小さな頃は家の程近くにある二つの大木が風に揺れる音を聴きながら家に帰った。冬の静寂などはこれこそが北海道の音であった。雪が防音材のように音を吸い込み、しーんと静まる夜が雪国にはある。-10度の帰り道、足元の雪がぎしぎし鳴る音と静寂。ありありと思い出すことができる。例えば、本州の夏の虫の声にはある種の圧を感じる。短命であることを知っているかのように、長い間幼虫で過ごした鬱憤を晴らすかのように、大きな声で鳴く。耳を澄ますようなことはせずとも、彼らはそこにいる。旅行先で見た海の波の音や、森の木の葉が擦れる音はよく記憶しているが、それは日常ではなかった。

世田谷で5食200円の冷凍うどんを食んでいた当時はまだそうした感性が備わっていたのかもしれないが、それも10年も前のことになる。社会に出て、少しずつ忘れていったのだろう。とても仕事が落ち着いているとは言えないが、社会が止まり、少しずつ動き出そうとしている今が、文京の秋でよかった。

 

はてなブログ10周年特別お題「10年で変わったこと・変わらなかったこと