徒然雑草

踏みつけられるほどに育つ

手術をします〜僕のキンタマと精索静脈瘤〜

これから僕が綴る話はさして綺麗な話ではない。しかし、僕の身体に今まさに起こっている事実である。綺麗や汚い、上や下のような二元論では語りえない事実。それに相対する当事者としての感受を綴りたい。冗長な話が多いかと思う。どうか許してほしい。

 

結婚して一年が経つ。早いものだ。新居に越してきた頃に咲いた桜がまた咲いた。ツツジの季節もすぎ、今は紫陽花が漏斗のような葉を伸ばし、その足の付け根あたりに小さな花弁たちが顔を覗かせている。重低音のようにコロナ禍が横たわる世情において、色づく街は殊に華やかに見える。昨年に比して自粛を強いる圧力もいくぶん減退しており、花見の季節には色とりどりのレジャーシートが地面を彩った。

2度目の季節を眺む僕ら夫婦の生活は、簡潔にいうと、とても楽しいものである。件の重低音にかき消され、結婚式や披露宴、新婚旅行のような婚礼にまつわるエトセトラを行うことはできていないが、浮かんでは消える日常のやりとり一つひとつに珠玉の楽しさを感じている。例えば、学生の非常に狭い特定のコミュニティでしか通じない挙動や言葉があるように、夫婦の間でしか通じない挙動や言葉がこの一年で増えた。閉ざされたコミュニティで煮詰まるコミュニケーションほど面白いことはない。日々の楽しみの相当量を妻と話すことが占めているように思う。幸せなことだ。

 

婚礼にまつわるエトセトラができないまでも、夫婦にまつわるエトセトラは世間一般の夫婦がするように、エトセトラしていた。ネズミやサルのころから連綿と繋いできた遺伝子のバトンだ。いち生物として、バトンをもらったからには次に渡したい気も、人並みにある。そういうわけで、頻度や形態は他所の夫婦と比べてどうかは不明なものの、日常生活の一部分としてエトセトラは組み込まれていた。うまくいったら御の字、焦ることもないだろう。それくらいのスタンスである。

そうこうする間に一年が経った。特に狙い澄ましてスナイプしているわけではないにしろ、音も沙汰もない。ぼちぼち本気で結果にコミットしてみるかと、信頼のおける医療機関にてコンディションチェックを実施したのだった。

そう、精液検査である。

 

一度話を脱線させたい。僕の体格、生育の話をする。

北海道で自営業を営む家庭に生まれ育った。先祖代々から受け取った遺伝子と、十分な栄養と睡眠のハーモニーが功を奏したのか、文にしろ武にしろ、そこそこな総合力を有するに至った。背の順はほぼ1番後ろ、体力テストは大体オール10点、勉強は進学した先々で上位30%くらいの位置をうろちょろした。いくつかの趣味にも恵まれた。上には上がいるのは百も承知だが、両親や伯父伯母、親族一同に育んでもらった能力や性格に大きな不満はない。当然、齢29を数えるに至るまでにはいくつかの挫折と、苦労があった。今は上場企業の総務をしている。悩みごとが頭を離れることは少ない。諸々の苦労もすべて込み込みで、まあそう悪くはない人生だと感じている。

 

話を戻そう。結論から、ざっくりと言う。

100点満点で、僕の精液は15点であった。80点が合格点だという。立派な赤点である。

元気な精子が、力強く、素早く運動するのが合格点の精液だが、呆けた精子が、弱々しく、のんびりと動いているのが、僕の遺伝子を分けた愛すべき精子である。遺伝子の排出元は体力テストでぶいぶい言わせてきたのに。遺伝子のメッセンジャーは精液の海を鈍くぷるぷるしていた。

 

家から歩いて10分ほどの婦人科で受検した。妻の通う病院である。出したてほやほやの精液を指定のビーカーに入れて持ってこいとのことだったので、気合い入れてローンチした精液を小脇に抱えて歩く大通り。如何ともし難い背徳感が後頭部のあたりを撫ぜた。

婦人科に着き、受付でビーカーを渡すと、10分ほどで結果が出るとのことであった。受付にて適当に時間を潰す。診察室に呼ばれ、扉を開けるとおじいちゃんと言っていい年齢の医師がいた。僕が診察室の腰掛けて早々、医師が口を開く。

「疲れとか体調によって精液の状態というのは良くも悪くもなりますし、今回の結果が通常の精液の状態であると言い切ることもできませんが…」

およそ8年も前になるが、新入社員研修でビジネスマナーを学ぶ機会があったやに記憶している。その際、さまざまな場合でクッション言葉が重要になることを知った。

「差し支えなければ」「お手数をおかけいたしますが」「大変恐縮ですが」

物事を柔らかく伝えるためのまどろっこしさ。伝えづらいことを伝える前のクッション。老医師が発したのは枕詞よろしく猛烈なクッション言葉であり、これを聞いた時点で僕は自らの精子の有様を悟ったのであった。

15点の精子の様子に続いて、婦人科では専門的な知見は持ち得ないことと、男性不妊の原因となる疾患が潜む可能性があること、専門の病院があるから受診を勧めることも併せて伝えられた。気合い入れて精液をローンチしたあの時点で、はたして誰が僕の体に病理が潜むだなんて想像したろうか。見えないものを見ようとして望遠鏡を覗いたら病理が見えたようなものだ。精子の状況からしてもザーメン of chickenって感じである。

 

検査結果を受け、病院を出る。街を見渡すと、世界が変わってみえた。

何しろ、世の中の"お父さん"になりえた人たちはおおむね精子が元気なのである。背が高かろうが低かろうが、体力テストが10点だろうが5点だろうが、算数が得意だろうが苦手だろうが、健康診断で引っ掛かろうが引っ掛からまいが関係ない。「精子が元気」という一点において、僕は、全国津々浦々にいる"お父さん"の後塵を拝している。

謙虚さが芽生えた。傲慢になっていた己に気がついた。

表層に発現している能力や見てくれなど、人のごくわずかな側面でしかない。これまで測ってきた能力が人よりちょっとよかったからなんだ。命のバトンを繋ぐ能力、生殖。これこそ、生命の本質だ。じゃあ僕はなんだ、僕の生殖は、僕の精子は、、、

 

さておき、問題は精子であり、精液であり、要するにキンタマだ。キンタマに赤点の原因が潜んでいる。事実を正しく認識した上で、目的に対してクリティカルな判断を素早く実施してアクションを起こすのが何においても重要である。

ここで運のいいことに、僕にはかかりつけの泌尿器科があった。

男性諸君、泌尿器科をかかりつけにしたことがあろうか。50代や60代のシニア層に膝下まで使った諸君であればあるかもしれない。しかし20代の諸君はほぼ経験がないのではないか。僕は22歳の頃、慢性前立腺炎と診断されたことから、引越す先引っ越す先で、かかりつけの泌尿器科を設定するカルマを背負って生きている。慢性前立腺炎に罹患した最初のきっかけは、”クッションのないフローリングに地べたで座りながら日がなギターを弾いていた(作曲していた)こと”という、なんともクリエイティブな原因だった。あの日のクリエイティブは後生背負うこととなる大きなカルマを呼び寄せたが、精子を懸けたこの土壇場において丁度いい駆け込み寺となった。(今のままだと僕の精子ではクリエイティブができない。)

 

そういうわけで、かかりつけ泌尿器科にてキンタマにエコーを当ててよくよく調べたところ、僕は左のタマに精索静脈瘤を抱えていることがわかった。

精索静脈瘤とはなんたるか。

左のタマと右のタマ、似たようなものに見えるが、実は静脈が帰結する位置が異なる。右のタマはタマの近くの大静脈に帰結するが、左のタマは腎臓近くの静脈に帰結する。要するに、左のタマの静脈が右に比して長く伸びているということだ。静脈は動脈と違い、血がゆっくり進む。血管には弁がついており、血液が逆流しない仕組みになっているため、これが正常に作動していれば一切の問題はない。しかし僕の左のタマ静脈においては弁がうまく働かず、腎臓までの距離に負け、血液が滞り、血管が太くなってしまっていた。さらには血が滞ったり逆流することによりタマの周りの温度が上がる。健康な精子を作るためには33℃程度の涼しい環境出なければならない(だからタマは体外にぶら下がっているんだと思う)のだが、静脈瘤のために体温と変わらない温度になってしまう。熱に弱いタマは、途端に活動が鈍り、元気な精子を作れなくなる。さらに悪いことに、左のタマの右のタマは隣接している。左のタマにこもった熱は右のタマにも伝播する。結局、左右双方のタマが蒸し風呂となり、僕の精子はぷるぷると呆けるに至ったのだった。

 

進行度合いは最も進んでいるグレード3。瘤のの太さからして、どうやら10年以上静脈瘤と付き合ってきた可能性すらあるらしい。中学生、高校生の頃から無意識に精子を茹立たせていたというのだからタマには申し訳ない気持ちになる。タマったもんじゃないね。なんつって。

進行程度がそこそこであるため、根治するには専門的な治療、手術が必要であった。かかりつけ医は大学病院への紹介状を認め、僕に渡した。

そうして、僕は大学病院を受診し、ついに明後日、掲題の手術を受けることになった。下腹部をほんの少し切開し、タマの付近の静脈瘤の箇所を縛って逆流を止める手術である。

先述の通り、症状としては結構進んでいるらしい。執刀医がいうには、正常なタマの機能を取り戻せるかどうかはわからないという。ただ、やらないよりやった方がいい、やるならより早い方がいい。最善を尽くす以外の道は今やないのだから。

 

 

長々と書いた。

自然に交わり、自然に生まれてくる命がある中で、キンタマに手を入れなければいけない性質を持っていることを、正直なところとても面白く思う。先述の通り、体躯はどこから見ても人並み以上に健康なのだ。なぜにそこだけ、なぜにそこを選んで弱いのか。生命の逞しさと生殖の乏しさ。このギャップである。可愛げすらあろう。

僕が行うのは男性不妊の手術であり、これが治ったとしても一般男性が立っているステージに登ったにすぎない。それで子供ができるできないは次の話となるし、いわゆる"妊活"がここから始まるわけだ。とかく、女性にウエイトがかかりがちな妊娠出産において、先陣を切って生殖機能改善手術臨めることは、夫婦共闘体制を敷く意味においてもよかった。

 

タマが元気になってくるのはおよそ2ヶ月後だという。

暑い夏、僕のキンタマはかつてないほどの涼しさを取り戻しているかもしれない。そう信じて、明後日を迎える。