徒然雑草

踏みつけられるほどに育つ

とどのつまり疲労詰まり

大学卒業に際して後輩よりプレゼントしてもらった簡易マッサージ機がある。クッションのような形で、イボが付いていて、スイッチ入れるとイボがくるくる回るタイプの機械。

働き始めの頃は頻繁にやっていたのだが、ここ最近はとんと起動させなくなってしまった。だが昨晩、なんか気が向いてゴリゴリやってみた。ふくらはぎ、膝裏、尻、腰、肩。整体とかで筋肉をいじくり回されるのが好きなたちなので、機械相手ながら久々に揉みほぐされてる感があって非常に気持ちよかった。六畳に毛が生えた広さの部屋で1人、ゔーって言いながら機械と戯れる青年。なかなかにイケてない瞬間だ。

すっかりほぐされ、案外と疲れてたのかもしれんなと、明日からまたすっきり動きだせるなと、ぼんやり考えながら眠りについた。

夜が明けて本日。寝起きからして全身が怠いことこの上ない状態であった。足腰が使い物にならない。「orz」って一昔前によく使われた絵文字であるが、マジでこの状態でしばらく過ごした。繰り返すが寝起きである。400mを5本とかブンブン走った後のポーズじゃなく、朝イチの一番エネルギッシュであるべき時間帯でのorz。救われない。

なんの脈絡もなく、ほんの出来心でマッサージを敢行したわけであるが、中途半端なマッサージは疲れの根源を呼び覚ます作用があるようである。一本ピロッと出ている糸をズルズルと引っ張っていくと気づけば取り返しのつかないことになっていたりするように、疲れの片端を掴んでしまうとこれまた大変なことになってしまうようだ。

さて、継続したマッサージが必要らしいので、今日も機械に任せてみようと思う。

どこまでも疲れの糸を引っ張り出してやろうと思う。

ブロークンマイフォン

朝、気分良く走っていた僕は、気分のいい曲を耳元で鳴らそうと気分良くポッケからiPhoneを取り出したところ、手が滑り、滑ったiPhone大陸間弾道ミサイルの如く宙に浮き、捕まえようとした手のひらを間一髪かわして地面に着弾したと思ったら気分良さそうに一回バウンドした後に動かなくなったものだから、気分を確かめようと画面を覗き見た時にはもう蜘蛛の巣のような日々が全面に入っていた。

端的に言おう。画面が割れた。

最近の若者のスマホの画面ってみんな割れてるよねー。っておばちゃんに言われたことがあった。「最近の若者」という枕詞がソフトな悪口であることを知っていた僕は絶対に画面だけは割ってもすぐに取り替えようと心に誓っていた。なので、なりふり構わず修理に走った。幸い仕事は遅出であった。

かろうじて操作ができた壊れた我が相棒は、保証期間であったこともあり、格安でまっさらな新品に買い換えることができた。めでたい。しかし新しい相棒は、その時点ではただの板である。パソコンに取って置いているバックアップを流し込んでこそ、相棒となる。そう、僕はただの板を一日中持って過ごしていたのだ。誰の電話かもわからずに出た。メールは来なかった。何しろ世の中の連絡の術はほぼラインだからだ。

ライン。

一目散に家に帰ってきて、バックアップを流し込み、通信連絡環境を整えた僕が目にしたのはラインで送られてきた飲み会の突発的な誘いであった。誘われるに値する自分であることを嬉しく思うとともに、遥か遡り、走行中に手が滑った自分を嘆いた。あの時気分良く曲を変えようとしなければ、より良い気分で酒を飲めていただろう。

ピカピカのiPhoneにて、悔しみを綴っている。

居酒屋のマスターたちの人生

学生の頃、行きつけの定食屋を増やし続けていた。おじちゃんやおばちゃんとコミュニケーションを取るのが好きらしい。老舗っぽい出で立ちの定食屋・中華料理屋で、ランチが安いととりあえず入ってみていた。社会に出てもその傾向は続いていたが、最近になって定食屋から居酒屋ないしは飲み屋に趣向がシフトしていっている。

何しろランチはなかなか現実的ではない。週に5日以上は少なくともお弁当な訳で、見知らぬおじちゃんおばちゃんとお話ができるチャンスはない。そうなるとどうしても居酒屋のマスターやママさんになってしまう。

フラフラ入った店が、たまにホームランだったりするから面白い。今日もそうだった。

インド料理屋なんだけど、ジャズの生演奏が付いていた。これが中途半端な腕の演奏じゃなく、その上チャージも特に取らない(投げ銭のみ)。お通しもない。エコである。はたとあったお姉さまと、マスターも交えてプカプカ喋ってきた。

居酒屋のマスターという職業。ここに行き着くまでの経緯がやはり面白い。何人かに話を聞いてきたが、みんながみんな面白い。「向こう見ずに社会に突っ込んでいったけど失敗して、苦労して成り上がったけどやっぱり鼻っ柱折られて、少しまたお金を貯めて立ち上がって10年目のお店です。」って簡単そうにみなさん仰る。さぞ楽しそうにアメリカの道端で飢えて死にかけたところを風俗嬢にパンを恵んでもらって生き延びたとか、ゲイに誘われてクラブを抜け出したおかげで殺人事件を免れたとかってエピソードが出てくる。みんなどうかしていると思う。本当に。

人生山あり谷ありで落ち着いた人独特の余裕みたいなものを、彼らから感じる。どうなっても生きていけるし、なんとかなるんだって、なんとかしたことがある人しか分からない世界がそこにはある。何しろ、僕は引き出しが少ない。異国の路上で飢えて死にそうになったことがない。母国でもない。

数年前、僕は今こんな職業で働いているとは想像していなかったが、大きなレールの上での想像の範囲外という、なんともちっぽけな想像外であった。一歩一歩階段を上がるような人生を生きている。その隣で、猛烈なスピードでエスカレーターに乗って乱高下している人もいるようだ。なんとなく、羨ましくも思う。波乱でも万丈であれば幸せである。壊れなければ全て実となり付いてくる。

こんなことを書いていると、伯父のことを思い出す。彼も居酒屋のマスターたちと近い人生観を持っているはずだ。めちゃくちゃして見たかったなぁと思いながら、伯父の子供じゃなく、僕は父の子供で、父はなかなかの堅実マンだったことに突き当たる。やっぱり蛙の子は蛙だ。おたまじゃくしとはいえ、いずれは蛙だ。

中学の頃、父に白洲次郎のような人間になってほしいと言われた。なんとなく、今なら父の真意がわかるような気がした。

ぐっすりスペクタクル

ここんとこいっぱいいっぱい風呂敷を広げていた。家事だけはやるけど他はやらないマンから、やれることは全部やるマンに変貌を遂げ、働けるときは働き、パソコンいじれるときはいじり、映画を見られると知れば観た。家事もした。晴れたら走った。晴耕雨読をひたひたと生きた。

すると僕は寝不足になった。

別に仕事に追われていたわけでもなく、ただ好きなこととやりたいこととやらなきゃいけないことをたくさん時間割の中に詰め込んだ結果、休み時間がえらい少なくなった。

突っ走るだけ突っ走ったのだが、昨晩いよいよ疲れたようで、風呂入って飯食って、片付けをする前にiMacに向かい、アプリ立ち上げたあたりで限界を迎えたらしく、全部やりっぱなしで朝を迎えた。座椅子とソファの境目のような椅子の上で、今朝と出会った。寝覚めの悪いことといったらなかった。まだ寝たい。まだまだ寝たい。寝させてください。ここんところだともう弁当作ってスーツ着た上で曲作ってるか出かけてるかって時間に、まだまだ寝たい。異常事態である。

最終通告のアラームだけセットして、そこまで寝ていた。無理くり起き上がり、起動しだした身体は恐ろしく動きが良かった。寝るってすげぇ!

寝不足でごり押していたここのところは、比較的寝覚めが良かった。ただ、起きて数時間経った頃に眠気が波状攻撃を仕掛けてくる。それを超えて、昼飯食ってまた波が寄せてきてと繰り返し、夜は夜で好きに時間使って、さっと寝る。そんなエブリデイであった。

ずっとハイだったのだろう。パソコン付けっぱなしで、スリープになって、またつけてってのをセルフで繰り返していた。アップデートもできないし再起動もしない。そりゃぁ疲れも溜まろう。

一度の睡眠で解決する若さがある。存分に使わせてもらおうじゃないか。まだまだ風呂敷を広げまくらせてもらおうじゃないか。夜は長い。

映画「イミテーション・ゲーム」感想 僕は生き方を見直しました

Amazonの有料会員、Amazonプライムにひょんな事から入会しており、プライム会員特典で、映画が見放題というので、なんか評判良さそうな映画を拾って観た次第である。

 

 

あらすじであるが。

時代は1920年代〜1950年代。第二次世界大戦近辺のイギリスでの話である。1939年に開戦した戦争は世界を巻き込んでおり、ことヨーロッパではナチスドイツが猛威を奮っていた。ドイツ軍躍進の原動力となっていたのが暗号生産機「エニグマ」。一度は名前を聞いたことがある方も多いだろう。「186×10^18」だか、途方も無い数の暗号パターンを有する難攻不落のマシーン。それも毎日暗号のパターンが変わるらしく、対症療法的な行き当たりばったりの暗号解読では全く手に負えない状況であった。

いつの世も戦争は情報戦だ。どこに戦艦があり、Uボートがあるのか。GPSの無い世の中では飛び交う信号が情報の全てであり、傍受するのは容易くとも解読するのが難しいそれのせいで、ドイツ軍の動きが掴めないままに欧州諸国は劣勢を極めていた。

エニグマを解読しないと勝てない。イギリス軍は学者筋をあたり、数学やチェスなど、様々な分野の第一人者を集結させたエニグマ解読プロジェクトチームを作る。その中の1人が主人公のアラン・チューリングである。彼は天才に相応しい卓越した数学の力とパズルの力を有していたが、コミュニケーションはからっきし取れない人間であった。

ものすごい勢いでプロジェクトチームをギクシャクさせまくるチューリングであったが、能力は抜群であり、対症療法的な解決のさらに先、どんな暗号でも対応できるようなコンピュータを作成する方針を立て、邁進していく。最初は先進的すぎて誰も理解も得られないものの、やはり天才同士理解が早いようで、しばらくするとチームの雰囲気も最早エニグマ解読への道はチューリングの案しかないって状態になる。途中、なかなか結果の出ない現実にやきもきしたイギリス軍の中佐だかが、ブチ切れてコンピュータを止める暴挙に出たりするものの、プロジェクトチーム一丸となって開発に邁進した結果、様々なところからヒントが舞い降りてきて見事エニグマ解読に成功する。やったね!

エニグマは読めても、ここからが問題であった。

エニグマが読めたことをドイツ軍に悟られると、ドイツ軍はまた新しい暗号機を作る。いたちごっこは終わらない。戦争が長引く。だったら、エニグマの情報を垂れ流させた上で、戦争を終結に導いていくのが平和への1番の近道ではないか。イギリス軍とプロジェクトチームの総意であった。

しかしそれは、助けようと思えば助けられる命を見捨てながら、戦争の終結という大義に向けて邁進する道。人命と平和とを天秤にかけ続ける行為だった。苦しみが伝わってくる。

かくして、イギリス軍は勝利。エニグマ解読よってドイツ軍を掌の上で転がしたことで、戦争の終結は2年以上早くなっただろう言われているようだ。解読の原動力となったアラン・チューリングの名は機密事項として扱われていたが、戦後70年、ようやっと日の目を見た。そんな物語であった。

 

時を同じくして、僕はたまたま「七つの習慣」なる自己啓発書の概要にさらっと触れた。数年前から流行りだした考え方であり、スティーブン・コヴィーなる人が概念の提唱者である。物事の本質を掴んで、最大の効果を生み出して行こうぜ!みたいな内容である。多分見る人が見たら張っ倒される紹介だろうが。

その中で、コヴィーは時間管理・タイムマネジメントについて強く言及している。

忙しいことを求めていないか。忙しさにかまけて本当に必要なことをおざなりにしていないか。緊急の出来事よりも、重要なことを重んじるタイムマネジメントをすれば、自ずと緊急の対応が減ってくるだろうと。つまりは、転ばぬ先の杖を作りまくってスイスイ進もうぜ!みたいな内容である。多分見る人が見たら張っ倒される。

 

喫緊の課題より、本当に重要なこと。

イミテーション・ゲームにおけるチューリングの話に戻るが、彼らはエニグマ解読後、いたずらにイギリス軍を救いはしなかった。助けられるはずの命を見捨てながら、絶妙な采配によってドイツ軍に勘づかれることなく、戦争の終結という本当に重要なことを見据えてオペレーションに取り組んだ。

思えば、エニグマを読みきったコンピュータである「クリストファー」の作成を始めたころのチューリングもそうだった。膨大なパターンの暗号をしらみつぶしに解読して、その日暮らしの解決を求める(短期的にはめっちゃ仕事した感じになる)のではなく、恒久的に読み切るマシーンを開発(時間かかるし結果はなかなか出ない)を優先した。結末は上記の通りである。

 

イミテーション・ゲーム」から、生きる上での大切なヒントを得たように思う。忙しく働いたような気がして使われる人生では結局何も得られない。うまくもいかない。しっかり考えて、数歩先の人生を今生きる。豆のまま食べてその場しのぎの腹を満たすのではなく、花を咲かせて、実をならせて、ずっと満足できる道を模索する。

言うが易しの世界だ。目的を見据えて、愚直に目指すなんて芸当、簡単にはできやしない。何しろ目標物が正しいのかもわからないのだ。富士山だと思って登ってみたけど全然違う山だったりする可能性もある。しかし、目標があるから反省が生まれる。富士山に登りたいって思わないと、次こそは富士山に登ろう!って気持ちも芽生えない。登って降りて、正しい山を目指す。チューリングみたいな天才は一発で登るべき山を見定めて邁進するが、我ら凡人は繰り返しながらやっていくしかない。努力して、たくさん登ったり降りたりして、より良い山を目指す。結局富士山に巡り会えなかったとしても、目標を掲げ、それにまつわる大切なことを見定めて、アタックを続ける。

 

ノーアイディアで生きるのはやめようと思う。考えを止めるのは簡単だし、将来を見据えるのは恐ろしいが、突っ込んだ先が泥沼かどうかくらいは知っておくべきだ。うまくいけば、泥沼に突っ込むことも避けられるかもしれない。

脳みそが熱くなる映画と出会えて、心底よかった。

惚れた腫れたの過ちで

時間を忘れて没頭していたことに飽きた時、何やってたんだろう…って思ったことはあるだろう。僕自身、少年時代に親の脛を食い散らかしてまであんなに熱中した遊戯王カードに今は見向きもしないし、パワプロも、ウイニングイレブンも、やらなくなった。その代わり、傍にパソコン、傍にギターを携えて、それらしき曲を作るようになった。

今の今まで必死に曲を作って、出来て、聴いて、満足をしていた。自分から生まれた曲である。logicというソフトがなければ出来ないし、そもそもiMacがなければ作れないのだけれど、すべての道具が揃っていたとしても何より僕がいなきゃこの曲は生まれなかった。唯一無二。母なる愛おしさを曲には感じるものなのだ。

ふと、全く違うことをしてみて、曲の出来栄えを忘れた頃に改めて、さっきまで愛おしくて愛おしくて最高傑作だと信じて疑わなかった曲を聴いてみると、思いの外大したことなかったことに気がつく。アラが見えてくる。歌ね下手じゃん。ギターガサガサじゃん。

惚れた腫れたの過ち。あんなに好きだったことが、人が、モノが、なんでもなかなってしまうように、生まれ落ちた曲も結構早い段階でしれーっとなんでもない存在になる。その時こそ、曲が本当に聴こえてくる。苦労とかを差っ引いた曲そのものと出会わなければ、本当にいいものは生まれてこない。

社外取締役の役目もそんな感じなのだろう。いかんせん、我が社には盲目になってしまいがちだ。数十年分の苦労。可愛くないわけがない。冷静な目がないとおかしくなってしまう。興味のない目、冷静な目を通しても揺るがないものを作らなきゃダメだ。目指さなきゃならない。

日々是成長、日々是鍛錬である。

二曲目完成報告。多分こう言うのをやりたかったんだと思う

二曲目が完成した。

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大量生産体制に入っている。寝不足である。

以前録音した同曲が以下であることを考えると、きちんとした道具を揃える事がどれだけ重要なことかがお分かりいただけると思う。

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しょっぱくて聞いていられない。が、これでも一昨年のマイ最先端技術で作っているわけである。胸を張りまくっていたわけである。弘法筆を択ばずなんて嘘だ。筆はいいものを使ってなんぼだ。

 

前回録音からテンポを上げて、道具のクオリティを頼りにパンキッシュな感じに仕立てて見たのだが、多分僕はバンドでこう言うのをやりたかっんだと感じた。ものすごくしっくりきた。

中高生。みんなと同じようにバンプを聴き、エルレを聴き、その2バンドを入り口として色々なJロックのバンドを垣間見た。結局、体の中に根ざしているのは縦ノリのリズムであり、最近流行りのSuchmosとかも恐ろしくかっこいいと思うんだけど、心のどこかで飛び跳ね続けられる何かを求めている。一人遊びでバンドができる環境に出くわすと、そういう曲を作りたくなる。

どうでもいいんだけど、パンクとかオルタナとかと言われる一派の凄いところはギター(大抵同じように歪んだ音色の)とベース(大抵ピック弾き)とドラム(泣きのハチロク)で様々な曲を生み出す点にある。One more typeみたいな曲をもう10曲作れとか言われたら卒倒する。無理じゃん。そんな引き出し数無いじゃん。業界全体でネタ切れでしょって雰囲気が充満しているところにWANIMAみたいなのが出てきたりするものだからわからない。こんな感じでどの業界もまだまだ深掘りできるんでしょうね。

あと一つ。一人で曲を作っていると、どこで完成とするかがめっちゃ難しい。誰かが輔弼しててくれないとめっちゃグダグダなところで妥協しがちである。若干ボーカルが遅れてるとか、許せる範囲で目を瞑りまくるんだけど、妥協が積もり積もってどんどんとクオリティが下がる。どこまで歯を食いしばって質を求められるかの勝負である。ある種現役時代の筋トレとかに通ずるものがある。

「望みは高く、意志強く」

これは我が母校の校歌の一節であるが、今こそ心に染みる。望みを高く掲げねば世の中では通用しない。望みに近づくためには、意志が強くなければならない。だから「望みは高く、意志強く」である。どちらが欠けてもいけない。

とにかく書く文章にもまとまりがないので、今日は早く寝ようと思う。

八方美人

無意識に八方美人になろうとして生きて来た。敵なんて作らないに越したことない。苛立ちや嫌悪はお互いにとってのデメリットである。そうであれば、みんなまあるく、みんな優しくなれるように、お互いを慮って行くしかないのだがしかし。

誰も彼もが各々思うところがあって、個々人だけならまだしも集団としての思い(ルールみたいなもの)もあるものだから、何を採用していいやらわからなくなりがちな挙句、目の前の個人的な便利に飛びついたりする。結果、その便利ややり易さが世の中(所属する集団)のルールに背いてたりして、知らない間にえらい評価を下げてしまっていたりとかって惨事が簡単に訪れる。忠告を受けるうちはいいが、泥沼に突っ込んでからじゃ遅い。泥沼に生きる人を見習ったら即泥沼に落ちるし、世間的には超まともなの後ろを追えば超まともに育って行く。哀しいかな、ついて行く人を選ぶのは下に入るものであり、四方八方全てにうまくやれる人など一握りしかいない。

自分はせめてそこそこ八方に美しくあろうと考えては来たのだが、うまくはいかないらしい。自分が雌阿寒岳だとして、アンナプルナほどのコミュニケーション能力と状況を判断する力を備えたスーパーマンが前任として君臨していた。無力だ。爆発するしかない。噴火してはるか北見市街まで火山灰でも詰まらせてやろう。八つ当たりである。部屋干しで生乾きの匂いがする世帯だらけにしてやるっ!

不断の反省と後悔を胸に抱いて生きて行くしかない。生きながらにして誰もが納得いく価値観を生やしている人間がいることを先日知ったばかりであるが、少なくとも僕はそうではない。至極中途半端で情けない人間だ。だからこそ、読むべきところは読むし、習うべきところは習う。知り続けなきゃいけないし、溶け込み続けなければならない。

骨折でそう簡単に人は死なないが、癌では簡単に死ぬように、内部からえぐって行く強さと逞しさを兼ね備えながらやらんと、収支が全くもって合わなくなってしまう。

住めば都にするのは自分次第。門は開かれている。あとはどういう作法で最新の注意を払いながら通るか。それだけである。

語尾でニュアンスが変わるのが辛い

今日は楽しかったよー(絵文字)久々にこんなに笑った!(絵文字)また是非飲みましょー!(絵文字)

誰もが送ったことがあるだろうし、誰もが受け取ったことがあるであろう、こんなメール、ライン、メッセージ。上っ面だけ仲良くされてる感が否めない。

もしも、例えば、である。

今日は楽しかったです。久しぶりにこんなに楽しい気分になりました。また是非お誘いいください。こころよりお待ちしております。

これだとどうだろう。どことなく距離を感じる。目上に立ってしまった感じがある。気を使われている。仲良くは無さそうだ。

平成も29年。絵文字、顔文字、スタンプの開発によって、僕らの文章読み取り機能は著しく変化した。それが退化なのか進化なのかはわからない。だが、文面のみで楽しさや嬉しさ、面白さを表現するのが実に難しくなった。

ボキャブラリーの問題だろうか。

本日は桃源郷かはたまた天竺かと錯覚をしてしまうほどに愉快極まりない時を共に過ごすことができて、私、すこぶる嬉しく思っております。再び本日のような宴会を開催できること、ろくろ首も首をすくめるほど首を長くして待ち焦がれております。是非ともお誘いくださいませ。

なんだ、少しだけ感情が見えて来たのではなかろうか。だが、どうしてもくどい。うるさい。生チョコにチョコレートチップトッピングをしてチョコレートソースをかけてるみたいな修飾と形容。既読無視筆頭の文面だ。

スタンプを使わず絵文字も使わない文章にて、どのような感情を表すか。行き着く先が、語尾となる。

〜だわな。とか、〜だよねぇ。とか。日常会話で使ってそうで使ってないけど違和感はそんなにない言葉を語尾に持ってくることにより、感情をうまいこと表出させる。ちっちゃい「ぁ」とか、「ぇ」を駆使して、柔らかさを見せる。

なんとなく語尾で遊ぶのが折衷点になりそうである。がしかし、この語尾遊び、後から見直すとめっちゃ気持ち悪い。ゾワゾワする。ゴビゴビする。

やはり、ボキャブラリーでぶん殴るしか無さそうである。不器用な僕らが生きる道。

現時点において精一杯のクオリティの曲を披露する

iMacが到着してからというもの、寝る間も割りかし惜しみつつ曲作りに励んでいた。あまりに地平が広がってしまったため、ゼロからの曲作りはしんどいなと考え、既存の曲をカバーする方針を取った。選んだのは往年の名曲、「ねえ人事」である。3年前、一生懸命に就活をくぐり抜けながら、世の中の同世代の苦しみ方を加味しつつ作り上げた曲だ。作曲背景に特別思い入れがあるわけではないのだが、人からいい曲だと言われる事が多いため、いい曲なのだなと噛み締めながら新作曲環境一曲目にチョイスした。

何しろこれが第一歩である。機能を把握しながら、ググりながら、立ち止まっては歩き立ち止まっては歩きを繰り返してやっとこさ完成させた。できないからって尻込んでちゃ進まないのだ。絶え間ないトライアンドエラーの果てに次の地平が広がっている。中途半端でも、聞き苦しくても、なんでもいいから曲を仕上げ続ける過程で、どんどんと精度が高まっていく。そう信じている。

当面の課題はどの音とどの音を重ねたらこんな風になるって方程式を自分の中に作る事と、エフェクターの把握、演奏技術の向上である。

音は重ねれば厚くなるけど、うまく重ねないとぐちゃぐちゃになる。逆にうまく重ねたらスッキリした音像になる。ゴテゴテさせず、必要な音を必要なだけ足して曲を作りたいものだ。そのためには音の作り方に強くなるのが不可欠であり、そもそものテクニックを向上させる事も言わずもがなである。

あと動画にすると音がもっさりしてしまうのもなんとかしたいものだ。

恥を承知で、披露する。今後の成長を約束する。

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