徒然雑草

踏みつけられるほどに育つ

我が家の太陽、僕らが惑星

リビングに息子がすっ転がっている。これが、我が家の太陽である。

息子が家にやってきてやや2週間。育休を貪りながら、育児をしている。泣き、笑い、寝る。乳を飲み、吐き戻し、寝る。起きて、泣く。人生の滑り出しを我が物顔で奔放に生きる息子。突然家庭に恒星が現れて、僕らが惑星になったような気分だ。全て太陽の思し召しのままに、僕らも惑わされる。まさに惑星である。

全ては息子のリズムによって僕らは動く。さすが恒星、核融合のごとき爆発的代謝のため、およそ2時間から3時間おきに腹が減る。それに合わせて、妻は乳を差し出すし、僕は哺乳瓶を差し出す。出産時にも男親の無力さを感じたが、乳が出ないあたりも、男親の無力さである。口元に何かがあると安心するのか、息子はよく授乳中に眠る。天使のごとき寝姿なのだが、寝てもらっちゃうとすぐ空腹に苛まれるのが見えているため、心を鬼にして叩き起こす。吸え、乳首を、吸え。眠気に閉じる口をこじ開け、口の奥深くに乳首を持っていくと、吸啜反射によりほぼ自動的に乳を飲んでくれる。人体のシステムはよくできている。

授乳に次いで重要なイベントとして排泄がある。彼の排泄は時と場所を選ばない。たとえ火の中、水の中、草の中、森の中。おむつの中、おむつの外、おとうさんの服の上、ソファの上、カーペットの上。うんちだろうがおしっこだろうが、心の赴くままに排泄する。いたいけな肛門から発射さえれる大便はなかなかの威力だ。アトムよろしく、百万馬力のスピードで噴射される。夜空の星であるお父さんとお母さんは、一生懸命後片付けをする。できれば、できればでいいからオムツ替えの時にうんちはしないでほしい。できればで、、いいから、、

自由闊達な排泄があれば美化清掃活動もある。沐浴である。しかしこれも一大事だ。僕は泳ぎが非常に苦手で、その根源には水への恐怖があるのだが、これがものの見事に遺伝してしまったようである。ベビーバスに浸かった時点から体は恐怖に慄き、インベーダーのようなポーズで硬直する。束の間、顔面が紫色に染まるほど苛烈な鳴き声をあげ、恐怖を訴えてくる。僕が風呂に入れているのだが、心情が非常に理解できてしまうこともあり、申し訳ない気持ちになってくる。怖いよね、水の中で目を開けるとか、正気の沙汰じゃないよね。心を寄せるだけ寄せ、無慈悲のシャワーを放つ。息子はパニックである。毎晩やるのに、一切慣れない。しかし、ひとたびバスタオルの上に打ち上げられると、爽快の面持ちでニタリと笑う。

風呂上がり、泣き疲れてようやく寝たかと思えば、突然思い出したかのように猛烈な勢いでアリクイの威嚇のようなポーズをとる。そして、自らの動きに驚き、泣く。モロー反射である。この手の、自分の動きがままならなさすぎて泣くパターンは結構多い。自分の手の動きが全く制御できず、顔面をパンチして、泣く。自分のくしゃみやしゃっくりに驚いて、泣く。息子の様子を見て、その昔、ピアノを練習していた頃に、自分の指が自分の思ったように動かず、自分のものじゃないように思えたことを思い出した。自分の身体を思うように動かすのはこれほどに難しいのだ。

一つ一つの出来事に驚いて、泣き、その度に僕ら両親があやす。昼夜を厭わないこの作業は辛くもある。同時に、自分の身体を認識する難しさ、思うように動かす難しさ、人に何かを伝える難しさを、息子を通して追体験しているようでもある。発達してしまった社会ではまずできない経験を、息子にさせてもらっている。たとえうんち塗れになったとしても、それすらもありがたい。いつか僕が太陽だったように、彼にも太陽としての役割を完遂してほしいなぁと思う。

本日も僕は1時の授乳を行う。なぜか夜になるとむくむくと元気になり、泣き喚く息子との睨めっこだ。宥めても泣き止まず、心を無にして部屋をうろつく亡者のようになりても、惑星に休みはない。何しろ太陽ありての惑星なのだ。

しかしこいつ寝ないわ。なにが嫌なんだ、頼む、教えてくれ。