徒然雑草

踏みつけられるほどに育つ

コロンブス

子供が可愛すぎて世間のことなんてあらかたどうでもいいのだが、非常に興味深く様子を伺っている。

 

僕は映像を見ていません、曲は聴きました。

この四面楚歌の状況を生んでいるのには本当にさまざまな要因が絡んでいるように思う。しっかり酔っ払っているので理路整然と記述する元気もない。

楽曲の発注元のコカコーラ含めた製作者の思惑としては、「この曲でキャンペーンを盛り上げて商業的に一定の効果を生み出そう!」だったことは想像に難くない。そう考えると、MVという、楽曲にとってはある意味蛇足な販促活動により、あらゆる利益が消し飛び損失が膨れ上がる、この結果。考えるだけでめちゃきつい。

簡単に言えば、配慮である。

「事情をふまえて、気遣いのこもった取り計らいをすることを意味する語」(weblio辞書)。これが配慮。定義に照らすと、製作者一行は、事情(歴史的事実を踏まえたコロンブス新大陸発見の捉え直し)を踏まえて、気遣いのこもった取り計らい(特定クラスタの人が嫌な気持ちを抱かないような作品制作)をすることができなかった、といえるだろうか。人権や誰一人取り残さない的な価値観が通念になっている社会からしたら「配慮がない」とかよりももっと強く重い問題なのかもしれない。

製作者側の思惑が外れ、配慮が不足しルールに反した作品を発表したことはそれとして、四方八方からの投石にも似た意見が投げ込まれているのはなぜかと考えると、大衆は他人事に興味が湧く程度に暇であるというのが半分、世に生きる人々全員が日々配慮を重ねているため配慮がないものを見つけるとどうしても許せなくなってしまうのが半分、今日の常識的にありえないだろと思っている人がさらに半分、人権に対しての問題意識を強く持っている人がもう半分と言ったところだろうか(20割)。一人が一つの理由で投石をしているわけでもなく、これも複合的な要因でそれぞれ投石を嗜んでいる。投石、青リンゴを穿つって感じだろうか。はたまた焼きリンゴって感じか。上手いこと言った。

今回の件で、法整備がされ、MV制作に関しての人権尊重のガイドラインが作成されるとか、MVを作成する際には必ずBPOを通さなきゃいけないとかの仕組みが整う結末が用意されているのならば、それは一つの意味があるのだろうと思う。でも、個別製作者の倫理観とか見識とかに責任を見出そうしている限りは絶対にまた繰り返すし、そうした動きにつながらない。すると、ほぼ間違いなく今回の騒動はただ消費されて終わるだろう。商業的な成功を目論んだ制作と、虚実深浅多様な考えに裏打ちされた多種の意見がぶつかって、一瞬光って花火のように消えていく。何の意味もなく。

まさに世情って感じである。世情に意味なんて見出す方が無駄なのかもしれない。

ぱんぺんぽんっ!

息子が可愛い。目に入れても痛くないなど、明らかに過言な慣用句が存在する子孫界隈であるが、そうも表したくなる気持ちはわからんでもない。誕生から半年と少し、どんどん可愛くなっていっている。顔の造形だってそうだ。目鼻立ち、口の形、その配置、どれをとってもピカイチだ。彼を彼たらしめたのが僕と妻の遺伝情報であるならば、僕と妻が可愛かったということではないか。ということは、僕と妻の両親、そのまた両親、そのまた両親と、あらゆる先祖のスペシャルな遺伝のバトンリレーにより、この可愛さが結実しているといえる。先祖代々、皆、いい仕事をしてくれている。

僕はかつて毎日のように文章や曲を書いていた。これは生活をする上で溜まった垢を一掃するような、いわば感情のデトックスだった。悔しい気持ちや悲しい気持ちを、自分の言葉で表現することで、気持ちに意味を持たせる。ネガティブな出来事をポジティブに変換させる。そんな意味があった。

しかし、ここ半年ほど。宇宙一かわいい生命体がリビングにいる。少し前まですっ転んでいただけだったのに、いまはリビング中をずり這いで探検し、絵本を読めとせがみ、おもちゃを持って遊ぶなど、極めて能動的な振る舞いを見せている。見た目もかわいけりゃ仕草もかわいい。非の打ち所がない。僕はリビングをずり這いで徘徊する宇宙一かわいい生命体に対して、「ま゛っ!」とか「ぱんぺんぽんっ!」とか言って、なんとか笑ってもらおうとアプローチをかける。わかるだろうか。笑ったらもっとかわいいのだ。そして、僕も嬉しい気持ちになるのだ。

「ぱんぺんぽんっ!」の最中、僕は日常のあらゆる負の感情を失念している。というか、「なんとなく日々がうまくいかんなぁ。」みたいな気持ちを持ちながら「ぱんぺんぽんっ!」はできないように人体はプログラミングされているらしい。「ぱんぺんぽんっ!」時には「ぱんぺんぽんっ!」に専念せざるを得ない。そして、息子は「ぱんぺんぽんっ!」に笑う。彼はかわいい。僕は嬉しい。するとどうだ、これまで吐き出し続けてきた生活の垢の上にかわいいの塗料が重なり、デトックスせずとも生きていけるようになっている。

単純に、創作をする時間が足りないことも関係しているとは思うのだが、「ぱんぺんぽんっ!」と「かわいい」の往来で生きていけてしまっている状況にある。生活の垢にかわいいを厚塗りして、自分の感情がどこに行ったかわからなくなっている気にもなるが、感情の行き先を考えようとした矢先に気づけば「ぱんぺんぽんっ!」している。

憤怒と寂寞を言葉とメロディーに変えて叩きつけなくていいことは幸せか。果たしてわからんがぱんぺんぽんっ!

比較的

今、目の前にある感情や物事を、相対化して捉えると、気持ちが楽になることがある。「比較的」楽になると言うやつだ。比較的。この言葉を使うとき、僕らは何と比べているのだろうか。「比較的」は、客観的に事物を比較するときにも使うが、主観的に体験や感覚を語るときにも使う。「比較的こっちの方が好き。」とか、明確に比較する対象がないにも関わらず使ったりする。「なんとなく」と類似の用法を持つ言葉になりつつあるのかもしれない。

しかし、比較することは本当に大切で、自分の体験や状況を相対的に捉えることにより、必要以上の悲観や楽観を防止できる。経験上、追い込まれたときほど相対化ができなくなる。視野が狭くなり、短期的な目線でめちゃ焦るみたいな状況が生まれがちである。そんなときこそ、落ち着いて「比較的」の境地を得ることが大切である。

 

この「比較」だが、自己の経験の中で比較ができるような辛さであれば、ぶっちゃけ比較の必要もない。比較するに値しない余裕の辛さである。本当に辛い時は、自己の経験の中で比較対象がなく、比較のしようがない。そうすると相対化ができないから、ただただ辛い、辛い地獄を味わうこととなる。これを乗り越えるためには、外部の知識を得て相対化をするか、ただ耐え凌ぐしかないと感じている(全くの主観である)。外部の知識を得て相対化すると言うのは、たとえば、日米修好通商条約を締結した後に勅許をもらおうと天皇のところに行ったが絶対に許さないと一蹴されてトボトボ江戸に帰った時の堀田正睦の気持ちを考えたら今の状況なんて余裕、みたいな思考回路を持つことだ。この思考方法で結構なところまで飛躍できるのだが、いかんせん肉体的なしんどさを伴わない類推ベースの思考回路のため、身に迫る苦しみまで想起しづらい。多分この時この人も結構しんどかったろうなぁ、とは思うが、今自分の目の前にあるしんどさの方がどうしても辛いように思えてしまう。

となると、本当に辛い時は耐え凌ぐ以外に道はない。耐え凌いでなんとかしないことには、相対化の種すら生まれず、全て生身でダメージを受け続ける。予防接種みたいなもので、人生の早い段階でさっさと様々な種類の辛いを経験しておいた方が、免疫がついて末長く元気に生きられるのだろう。おそらく、この辺りの思考回路から、幼い子には旅をさせよとか、若い頃の苦労は勝手でもしろとかって、劇薬系諺が発生したとおもわわれる。めちゃわかるなぁとも思うが、そこそこ強者の論理である。社会の厳しさが滲む。

 

僕は今、明治元年から明治4年までの新政府(明治政府)がどれだけの仕事量をこなしてきたかを学び、自分の日頃の仕事のしていなさを呪っている。比較的仕事していない、のではない。全然ダメだなあと思い、また明日も働く。

我が家の太陽、僕らが惑星

リビングに息子がすっ転がっている。これが、我が家の太陽である。

息子が家にやってきてやや2週間。育休を貪りながら、育児をしている。泣き、笑い、寝る。乳を飲み、吐き戻し、寝る。起きて、泣く。人生の滑り出しを我が物顔で奔放に生きる息子。突然家庭に恒星が現れて、僕らが惑星になったような気分だ。全て太陽の思し召しのままに、僕らも惑わされる。まさに惑星である。

全ては息子のリズムによって僕らは動く。さすが恒星、核融合のごとき爆発的代謝のため、およそ2時間から3時間おきに腹が減る。それに合わせて、妻は乳を差し出すし、僕は哺乳瓶を差し出す。出産時にも男親の無力さを感じたが、乳が出ないあたりも、男親の無力さである。口元に何かがあると安心するのか、息子はよく授乳中に眠る。天使のごとき寝姿なのだが、寝てもらっちゃうとすぐ空腹に苛まれるのが見えているため、心を鬼にして叩き起こす。吸え、乳首を、吸え。眠気に閉じる口をこじ開け、口の奥深くに乳首を持っていくと、吸啜反射によりほぼ自動的に乳を飲んでくれる。人体のシステムはよくできている。

授乳に次いで重要なイベントとして排泄がある。彼の排泄は時と場所を選ばない。たとえ火の中、水の中、草の中、森の中。おむつの中、おむつの外、おとうさんの服の上、ソファの上、カーペットの上。うんちだろうがおしっこだろうが、心の赴くままに排泄する。いたいけな肛門から発射さえれる大便はなかなかの威力だ。アトムよろしく、百万馬力のスピードで噴射される。夜空の星であるお父さんとお母さんは、一生懸命後片付けをする。できれば、できればでいいからオムツ替えの時にうんちはしないでほしい。できればで、、いいから、、

自由闊達な排泄があれば美化清掃活動もある。沐浴である。しかしこれも一大事だ。僕は泳ぎが非常に苦手で、その根源には水への恐怖があるのだが、これがものの見事に遺伝してしまったようである。ベビーバスに浸かった時点から体は恐怖に慄き、インベーダーのようなポーズで硬直する。束の間、顔面が紫色に染まるほど苛烈な鳴き声をあげ、恐怖を訴えてくる。僕が風呂に入れているのだが、心情が非常に理解できてしまうこともあり、申し訳ない気持ちになってくる。怖いよね、水の中で目を開けるとか、正気の沙汰じゃないよね。心を寄せるだけ寄せ、無慈悲のシャワーを放つ。息子はパニックである。毎晩やるのに、一切慣れない。しかし、ひとたびバスタオルの上に打ち上げられると、爽快の面持ちでニタリと笑う。

風呂上がり、泣き疲れてようやく寝たかと思えば、突然思い出したかのように猛烈な勢いでアリクイの威嚇のようなポーズをとる。そして、自らの動きに驚き、泣く。モロー反射である。この手の、自分の動きがままならなさすぎて泣くパターンは結構多い。自分の手の動きが全く制御できず、顔面をパンチして、泣く。自分のくしゃみやしゃっくりに驚いて、泣く。息子の様子を見て、その昔、ピアノを練習していた頃に、自分の指が自分の思ったように動かず、自分のものじゃないように思えたことを思い出した。自分の身体を思うように動かすのはこれほどに難しいのだ。

一つ一つの出来事に驚いて、泣き、その度に僕ら両親があやす。昼夜を厭わないこの作業は辛くもある。同時に、自分の身体を認識する難しさ、思うように動かす難しさ、人に何かを伝える難しさを、息子を通して追体験しているようでもある。発達してしまった社会ではまずできない経験を、息子にさせてもらっている。たとえうんち塗れになったとしても、それすらもありがたい。いつか僕が太陽だったように、彼にも太陽としての役割を完遂してほしいなぁと思う。

本日も僕は1時の授乳を行う。なぜか夜になるとむくむくと元気になり、泣き喚く息子との睨めっこだ。宥めても泣き止まず、心を無にして部屋をうろつく亡者のようになりても、惑星に休みはない。何しろ太陽ありての惑星なのだ。

しかしこいつ寝ないわ。なにが嫌なんだ、頼む、教えてくれ。

息子が生まれました

昨日、息子が生まれました。妻と二人で2年半ほど、それは楽しく暮らしてきましたが、なんと一人増え、三人家族となりました。

20代前半の頃、雑談や飲み会などのなんでもないコミュニケーションにおいて、「将来子供欲しい?」みたいな話は比較的よく上がる話題だったと記憶しています。30代に入り、子供関係の話は大いに配慮しなければいけないお年頃になってきましたが、若者の間であれば、子供欲しい?くらいはまぁよく話題に出るでしょう。その際、僕は「自分に似た他人が自分の知らない未来をどう生きるのかに興味がある、だから子供は欲しいと思う」と、わかるようなわからんような理由をつけた沸切らない解答をしていました。そうこうしているうちに、自分に似た他人が誕生したわけですが、今、息子を目の前にして、自分の知らない未来をどう生きるかなんてことは微塵も思いません。かわいい以外の感情は脳内から爆散し、スペースデブリとなってアンドロメダの彼方まで飛んで行ってしまいました。

当初、妻との間では、そのうち子供できたらいいね、くらいの真剣さで構えていました。しかし、僕のキンタマが望外にポンコツだったこともあり、緩い構えでは時間の切っ先に差し込まれて身動きが取れなくなるとの危機感のもと、結構なスピードで妊活を駆け抜けていきました。昨日生まれた子は顕微受精なる、そこそこマジな不妊治療によって授かった命です。現代医療の力がなければ、僕は親になれませんでした。「自分に似た他人が〜」なんてスカしたことを抜かしてる場合があったらさっさと静脈瘤を結索した方がいいよと、あの頃の僕に忠告してあげたいです。

妻のお腹の中の命がどんどんと大きくなっていくにつれ、嬉しさと共に寂しさがむくむくと育っていきました。何しろ、妻と二人の生活が楽しかった。新しい命が生まれることで、二人の生活が崩れていくような気がして、怖いような、不安なような、そんな気が強くなっていきました。望んでいたはずの変化が目の前に迫ってきた時に、急に変化が怖くなることは、よくあることなのでしょう。上京するときの不安や、就職するときの不安、それに類する感情だったように思います。妻と二人で、これまでの生活を反芻するかのように語らいました。本当にこれまでの生活が楽しかった。楽しかったからこそ、名残惜しく、寂しい。寂しさこそ、これまでの生活が楽しかったことの証明なんだ。最高の結婚生活だった。きっとまたこれからも三人で送る最高の生活が待っているはずだ。きっとそうだ。

破水は突然でした。

仕事中に妻から電話がかかってきて、破水した、病院に行く、と話した次の瞬間には妻は入院しており、僕は早退して自宅で待機をしていました。結局陣痛は来ず、翌日誘発剤を使って陣痛を起こし、分娩に臨むこととなりました。

立ち会い分娩を希望していたので、分娩当日は一緒に陣痛室兼分娩室に入りました。壮絶な場面でした。陣痛の初期の頃は、お尻の辺りを握り拳で押し込んで、痛みを散らすお手伝いができていました。ただ、いざお産が始まると、妻が小刻みに痙攣するほどにいきんで、息子が狭い産道に体をねじ込みながらなんとか外に出ようとしているのに、僕はひたすらに妻の汗を拭くマシーンにしかなり得ず、男親の無力感を味わいました。冗談めかして言っていますが、妻と子の頑張りは僕の持ちうる言葉で表せないほどのものでした。最後、妻が振り絞るようにいきんで、助産師さんが息子を引っ張り出した瞬間。息子の姿を見ることができました。血と羊水に塗れてどろどろだけれど、なんとか息をしようと口を開けている息子がいました。溺れたように喘いでいた息子が、口の中を掃除してもらうと、元気に泣き出しました。本当に、忘れ得ぬ光景になりました。

 

はたして、三人家族になって丸一日ほど。妻と息子はまだ病院にいます。妻と話した不安は、今のところ顕在化しておらず、これまでのようなやりとりを続けています。面白おかしく、時間が過ぎていっています。その中心には息子がいます。何しろ、かわいい以外の感情は脳内から爆散し、海の藻屑となってマリアナの最奥まで沈んでいってしまうほどの息子です。写真フォルダは息子以外何もなくなり、自宅は息子を迎えるための形態にフォルムチェンジをしました(おとうさん頑張りました)。全てが息子を中心に回り始めています。僕の親と妻の親は、呼称をおじいちゃんとおばあちゃんに変更しました。僕らが息子の写真を親族のグループラインに上げるたびに、将来はピアニストだ、目が賢そうだ、何かの思索に耽っている顔だ、などと、好き勝手な話をして盛り上がっています。息子を中心として、同心円上に喜びの輪が広がっているようです。

いざ、親の立場になってみると、「自分に似た他人が自分の知らない未来をどう生きるのかに興味がある」というのは無責任なところがあったなぁと思います。自分に似た他人とたくさん関わるのは自分です。ならば僕が、未来を面白がれるような、未来を楽しめるようなヒントの種を、自分が手に持っている分だけ息子に渡してあげたいなと思います。未来には腐って使えないものばかりかもしれないけれど、もしかしたら芽くらい出るかもしれない。それを使って、人生を面白がってほしい、そしてそのとき、息子を中心として、同心円状に喜びの輪が広がっていたらなんといいことだと、思っています。

なーんて、生きているだけで本当に可愛い。かわいい以外の感情や理性は脳内から爆散してニュートリノ大の素粒子の如く何百光年も彼方まですっ飛んでいっているので、生きている以上のことはもう望まない!

なんでも因果なんでも理解

この春、異動した。人事の職から一転、現場の営業部隊に鞍を替えろ、そこでマネジメントをしろ、という異動が発令されたのだった。4年半、労務屋さんとして、社内的な諸々や高名な疫病への対処など、常時歯を食いしばって働いてきた。その食いしばりが何に影響を与えたか不明だが、なんらかの力が働き、ピンボールのように弾き出された春の日。ピンボールは全く見知らぬ畑に着弾、門外漢の管理職が一匹爆誕した。

嘘でもマネジャーという立場になったため、取引先の職員など、日頃関わり合う人の数が非常に増えた。就任序盤、畑違いの僕は、なんとか皆から受け入れてもらおうと努めて気さくに話しかけ、部下やら取引先やらから聞ける限りの話を聞き、困りごとを解決できるだけじゃかじゃか解決した。その甲斐あり、たくさんのステークホルダーたちとそこそこな信頼関係が築けたように思う。門外漢、パージされなくて本当によかった。おかげで前職とは比べ物にならないほどたくさんの人と共に働き、たくさん話をしている。

かつて人事職のころ、僕は経営判断の実務調整を担っていた。多量の情報を元に、各所の利害を調整をすることが仕事だった。一方、現場では、たくさんの顧客に対してたくさんの職員が売上を上げるために働く。役割が違うもんだから、必要な情報の優先順位も変われば、与えられる情報の質も変わる。さらに、現場に行けば行くほど、経営判断の意図からの距離も遠くなる。そのギャップを埋めるのが僕の仕事なのだが、一旦棚に上げる。物理的に遠ざかることは事実だろう。

多量の情報から距離を置き、経営判断を愚直に執行する。このような立場に置かれると、多くの人はどうやら様々なことを想像するらしい。経営判断の意図を想像する。想像と日頃見聞きした事柄に因果関係を見出す。そして、理解する。この理解は事実でなくてもいい。各々が想像しやすいように想像し、思考しやすいように思考し、納得した時点で想像と思考が理解に変わるのだ。さらに、自分の想像の真偽を確かめることは多くの場合でしない。ちょっと調べればわかることでも、自分の想像から因果を辿った理解を覆すような行動はなされず、審議を超越した理解がそこかしこに発生する。

僕もこれまで、勝手に自分が理解したことをこうしたブログなどで書き続けてきた。しかし、どれだけの思考において、正しく事実を把握しようとしただろうか。ほとんどの場合で、目の前の事象と世の中の風潮を、勝手に因果で結びつけ、アナロジーを見出し、さも新発見をしたように書いた。その瞬間、僕の中で因果が正しいかなんて全く関係ない。自分の思考で辿り着いた因果に酔い、理解に溺れるのである。

「理解をすること」は人間の習性なのだなと、たくさんの人と触れ合ってみて痛感している。仕事の文脈では、この理解をハックして同じ方向に歩んでいくことがマネジメントの大きな意味なのだろう。

自己の経験から帰納法的に理解すると間違えることを理解しながら、勝手な理解で、また書く。

水の前では皆平等

我が家にはたくさんの植物がある。観葉植物である。部屋の中に数十体、玄関先に寄せ植えがいくつか。妻の趣味だ。

僕も、植物の名前を覚えたり、窓辺にハンギングされている植物を見ていい部屋だなと思ったりなどしている。そして、妻が早く家を出たりしたときに、たまに世話を手伝う。

植物の様子を観察して、変化を察知して、適切な処置をするのは、至難の業だ。妻は本当に物事をよく見ているし、変化にも気がつく。そして植物に対して慈しみの気持ちを持って世話をする。日々見ていて、僕には到底できないなと、尊敬の気持ちを抱いている。

僕ができる世話は、本当に簡単な水やりである。主に寄せ植えに水をやる。ビオラシクラメンが植っているのだが、しおしおした植物たちが、朝に水をやれば帰る頃には元気になっている。わかりやすい奴らだなあと、面白く様子を見る。

 

今日も僕は寄せ植えに水をやった。

ブリキのジョウロに水を汲んで、寄せ植えにジャバジャバと水をかける。たっぷりやる。土は乾いているので、多めに水をやってもどんどん吸い込んでいく。気候も良好で、数日前の寒波が嘘のように暖かくなった。さぞ植物も喜んでいるだろう。

ひとしきり水をやって、ジョウロを片付け、喉の渇きを覚えたので、僕も水を飲んだ。同じ水道水を。

 

はたと気がついた。僕は植物と同じ水を飲んでいる。喉が渇いて、水を飲む。土が乾いて、水をやる。同じ水である。

何を今更言っているのかという話だ。人体を構成する要素のうち7割だか8割が水分というのは有名な話だし、植物が育つには水と空気と日光と養分と気温が必要なのも小学校理科で習う。常識も常識。

しかし僕は、人間も植物も、全く同じ水で生きていることを、実感していなかった。水とは理解していたが、なんとなく違う水のように感じていた。だがそうではなかった。なんら変わらない、同じ水で生きていた。

 

人間であることを少し驕っていたのかもしれない。特別な水などない。植物も動物もひいては人間も、生命として、水の前では平等なのだ。

謙虚におおらかな気持ちで生きねばならんと自省した、日曜の昼下がりであった。

今まさに新型コロナウイルスに感染している

12月半ば、4度目の接種をした日、僕はこれで一定の抗体を得たものと確信していた。周りを見渡しても、同年代の連中で真面目に4度も接種を行なっている人は少ない。副反応と後の健康との天秤を揺らした際、若者は重症化する可能性が低いとのことから、4度も打たずともいいと考える人が多いのだろう。

ただ、それでも3度目、4度目の接種をすることで、短期的な発症リスクを低減できることや、重症化リスクをさらに下げる効果が期待できることが、確からしい資料にあった。で、あれば。帰省するかもしれないし、安全と安心を踏まえて打とうではないかと考えたのがわずか一月前の話。

 

1月29日、朝起きたあたりから気管の肺側のあたりに違和感を感じた。生来扁桃腺が弱く、喉の口腔側が腫れることは慣れていたのだが、気管の奥の方の違和感はあまり心当たりがなかった。強いて言えば、かつて北海道で陸上競技に精を出していたころ、寒空の下で走り込みをした時の気管の違和感に似ていた。たまたま、その前日に辺りをちょろちょろと走っていた(いわゆるジョギングである)ので、その影響だろうとたかを括っていた。

しかし、これが紛うことなく、新型コロナウイルスの予兆であった。

その日の17時ごろには全身がなんとなく寒気を覚えだし、風呂に入るもその寒気は改善されることがなかった。仕事は休みたくない、事実を直視したくない、と体温計測に対しては忌避を決め込んだのだが、妻に説教をかまされ、落ち込みながら測った体温は38.0℃。体温は一切落ち込んでいなかった。戦いの幕開けである。

この時点ではまだ、明日の朝ケロッとしている可能性も考えられた。だが、常識的に考えて、今のご時世、前日に38.0℃の発熱をかましておいて、翌朝出勤することは御法度である。主観的にはやらなきゃならないことが山積みなのだが、懸命に自らを客観視し、翌日の休暇取得を決断、発熱外来の予約を実施した。

その夜は苦しかった。仕事のことが頭をよぎり続ける中で、寒気でろくに寝付けない。深夜に解熱剤を服んで、なんとか3時間ほど寝たものの、およそ片手の数では収まらないほどの悪夢を見た。

翌朝、36.9℃くらいまで熱が下がった瞬間もあり、これはただの風邪なのでは!?と糠期待などもしたが、病院に着く頃には38.0℃まで鰻登りをかまし、検査をしたら秒で陽性判定が出た。検査結果が出るまで15分くらいかかるかもって言ってたのに、よほど元気に陽性を示したのだろう。

 

脳裏には様々なことがよぎった。4度も真面目に副反応と膝を突き合わせて向き合い、くんず離れずの格闘を繰り広げたというのに、なぜこうもあっさり罹患するのか。あの苦しみ抜いた健康への先行投資はなんだったのか。1週間も外に出られないときた。仕事はどこまでどうやっつけていただろうか。誰に何をお願いすればよかろうか。はたしていつ頃熱は下がるのだろうか。

熱で動作不良になっている頭で各所に話をし、家に帰ってきた頃には妻も立派な濃厚接触者である。彼女にうつさず、この局面を打破できるだろうか。自らの体調だけでない戦いが本格的に始まった。

 

4度もワクチンを打ったといった。であるからして、よほど軽症で治まり、隔離期間を大いに持て余すようなことにもなろうかと、若干の期待をしていたのだが、目下罹患3日目、何もしなければ常に39℃台の発熱をきたし、喉の痛み、咳、止まることを知らない痰と鼻水、聞こえの悪くなった右耳と、軽症であるとはいえ、主観的にはシンプルに苦しい。幸い、頓服(カロナールとロキソプロフェンをもらっているが、ロキソプロフェンが1番効く)は効くのだが、一時的に効いたとて効き目が切れたら39℃に逆戻りである。寒気、筋肉痛が容赦なく押し寄せる、熱が上がるあの瞬間を頓服を服むたびに繰り返している。あまりにお決まりのパターンすぎて、頓服の使用を躊躇っている。今も39.3℃の熱があるが、安定して39度台に居座ることができれば、歯の根を鳴らすような事態は避けられるし、こうやって文章も書ける。対策として正しいのかはわからないが。

 

いつまで続くか体調不良。

幸い、妻は今のところ元気そうである。僕も、筆を取ればある程度雄弁だが、耳鼻咽喉の機能が軒並みハルマゲドンしているので、コミュニケーションをうまく取れないのがもどかしく、世話されっぱなしなのも心苦しい。

いつか必ず治るとは思うが、しっかりと苦しい。先が見えないような気がするのは、体調に起因するメンタルの落ち込みもあろう。

なんとか張り切っていきたいところである。

構造改革前夜の構造改革担当者の気持ち

8月が終わる。本州の人は夏休みの終わりを想起するのだろう。道産子の僕は、特に8月末に対する特別な感慨はなく育った。しかし、今勤めている会社は2月末決算のため、8月は上期の終わりにあたる。

期が変わるタイミングではさまざまな変化が訪れる。人事異動もあれば、組織の改正もある。

当業界は非常に厳しい営業活動を強いられている。件の疫病と紛争と為替の影響もあるが、それに限らず、根底には経費構造や労務構成などの慢性的な原因があっての厳しさ。これをなんとかせねばと、漕ぎ出したのが構造改革である。

 

日本人の特性なのだろうか、改めることを好む。古くは大化の改新がそうだろう。時代が下っても、江戸時代には三大改革と言われる、享保・寛政・天保の改革がある。内閣は改造されるし、憲法は改正するかしないか議論になる。成功失敗は様々あるだろうが、事業や政治の行き詰まりを「改め」で乗り越えてきた歴史が、日本にはあるように思う。諸外国のことは知らん。

 

そういうわけでこの度、弊社もさまざまなものを改める。ゴールは利益を生みやすい経営体質にすること。要するに、売上を伸ばせ、経費を抑えろという話だ。シンプル極まりない。構造改革構造改革と言葉は踊るものの、どの企業も当然のごとく取り組み、弊社もこれまで取り組み続けてきた「利潤の追求」に対して、「構造改革」の名前をぶつけることにより特別感がでているに過ぎず、別に目指すところの要件の定義が変わったわけではない。資本主義における普遍の目的に本気で取り組む、すなわち改革。

さまざまなアプローチがあったが、今回大きく変えるのは仕事の配分、仕事のやり方、組織の形、人の配置の3点とした。

既存の仕事を因数分解し、重複している仕事を括り出す。括った仕事を集中して行う部署を立ち上げ、パッケージにして効率化したうえで、他の仕事ももらえるだけもらって集約する。因数分解の中で、取引先にお願いできそうな仕事はできる範囲でお願いしていく。やめるものはやめる。あの手この手で少しずつ効率化した仕事の分だけ、人員を効率化させていく。あとは気合いで営業をかけるのみである。

これらの改革の結果、15%の職員が転出することとなった。縦割りを横割りに変えるのはこの手の改革の常套手段のようにも思うが、それだけで15%も効率化できるのかといえば、なんとも言えない。15%のうち10%は気合いだったりする。バファリンの半分は優しさできているように、改革の7割は気合いでできている。

 

僕はこの話の立ち上がり当初から参加しており、主に部署立ち上げに携わった。何をする部署とするか、何人必要か、どの程度の業務が担えて、どれだけ効率化できるか。3月からシコシコと机の上で進めた仕事が、8月に入ると日毎に現実味を帯び始めた。およそ60名の職員と共に、いよいよ明日から船出となる。人の顔が見えなかった頃は、相当ファジーな組み立てをしていたのだが、メンバーが決まり出すとそうも言っていられなくなった。さまざまな事情の職員がいる。モチベーションを抱く場所も、家庭状況も、体調も異なる職員いる。仕事内容が詰まりきっていないことが多かったり、新部署ではたらているビジョンも見えづらいためか、皆の不安が痛いほど伝わってくる。その不安の3割くらいは僕がもう少し気合い入れて仕事してこなかったことにある。まじで申し訳なく思う。

構造改革の議論の過程ではさまざまなことがあった。しかし、今この土壇場で何を思うかといえば、職員みんなが不安なく元気に働けたらいい、ただこれだけしかない。

再三だが、構造改革の本質はみんな元気に働くではない。筋肉質な経営体質への転換である。だが、ボウリングのスパットのように、みんなが元気に働くことを目掛けて走っていったら、結果ストライクが取れるような気がしている。

企業の筋肉と血液は人だ。一つ一つの繊維や細胞が元気な生命は必ず元気だし、逆もまた然り。利害が合わないことも話が食い違うこともあろうが、とにかくしばらくは現場に出て、一つ一つ向き合って解決していきたいと思う。時間はかかるが、それしかできないし、それ以外に一致団結していく術はない。

 

ここからが本番だ。負けずに頑張る。

自宅隔離をやってみての感想文

8月13日土曜日の夜、妻が発熱した。

互いに仕事帰り、テレビ見ながらゴロゴロとくつろいでいるリビングに鳴り響いた体温計の音はすなわち、開幕のブザーだった。思い返すと金曜日、なんか喉がイガイガする…気がする…と、ささやかな違和感を妻は食卓で話していた。僕もまあ大丈夫だろと正常性バイアス全開の認知をぶちかましていたのも束の間、緊張感を溢るる場面が幕を開けた。

台風が行き過ぎたばかりの東京は21時。しかも時期はお盆。医療機関は軒並み夏季休業だ。ご先祖さんもとんだ冥土からの土産をもってきてくれたものである。休日診療してくれそうな最寄りの医療機関は簡易キットの抗原検査の結果がないと診療してくれないというから、近所のドラッグストアに突撃するものの台風影響で早期に閉店していた。事態はそううまく進まないものだ。

翌朝、なりふり構わずドラッグストアを三件回り、やっとこ手に入れた簡易抗原検査キットにて妻の陽性は確認された。しかし重要なのは医療機関への受診である。例の最寄り医療機関に改めて電話するも、「簡易で陽性ならほぼ陽性なので保健所に電話してね!」と、つれない返答が返ってきた。医療機関の意味!薬は!?診療は!?と夫婦で憤った。この憤りからなのか、シンプルにコロナの影響なのか、妻の熱はグイグイ上がり、39℃付近をうろちょろしだしていた。

すったもんだはあったものの、多少遠方の病院に無事受診、医療用抗原検査でしっかり陽性を確認し、薬をもらい、妻は療養に入った。

 

それから1週間が経つ。

幸い、妻の熱は月曜日の夜には下がった。薬すごい。熱は下がれど、病院から言い渡された10日間の隔離生活は続く。一方の僕はといえば、なぜか発熱をせず、医療用抗原検査でも陰性を確認できている。リモートワークができる職種であったがため、仕事もそう大きな穴を開けることなくなんとかなっている。

まだまだどうなるかはわからない。隔離生活もあともう少しというところだが、今のところは共倒れにならずにすんでいる。

 

これをもって、僕らの家庭が自宅隔離に成功したと言えるのだろうか。

家庭内で一人感染者が出たとき、家庭の目的はこれ以上の感染者を出さないことに定まる。マクロの視点では、感染者が増えれば増えるほど医療は逼迫と経済の停滞が輪にかけて進む。これを食い止めることが重要であるから、感染者を抑え込もうとする。なーんて、そんなご立派な話以前に、ミクロの視点でも、シンプルに苦しい思いはしたくない。罹患したくない。じゃあどうするか、といえば、自宅隔離である。今までわかっているウイルスの性質からして、隔離は一定の効果があるとされているため、僕らは隔離に躍起になる。

だが、隔離をやってみて思う。あまりにも変数が多すぎて何が奏功しているかわからない。

例えば、発症前の行動はコントロールできない。発症の2日前から感染力をもつらしいことがわかっているが、妻発症の2日前なんて、一緒に飯は食うわ隣で寝るわの濃厚接触パラダイスである。この時点でなぜ僕が感染しなかったのかは全くもってわからない。

発症後であっても、居室を分ける、寝室を分ける、食事を分ける、食器を分ける、マスクを常につける、触ったところは軒並みアルコールで拭く、など厚労省お墨付きの対策をやれるだけやったが、あまりにも色々なことをやりすぎて、この中のどれが効果的であったのかも一切不明だ。

さらには、僕の免疫や抗体、妻が保菌していたウイルスの感染力の強弱まで踏まえると、「なぜ感染していないのか」の答えは「わからない」でしかない。全くもって隔離がうまくいった感じはない。ダメな時はダメ、うまくいったらラッキー。パチンコのようなものと悟った。

 

では自宅隔離生活はどうかと言えば、端的に大変である。収斂すると、ひとえに家事だ。感染や接触に気を遣いながらの家事。これが大変だった。翻って、育児をしながら働く人や、介護をしながら働く人の大変さが、ほんの少し、実体験を伴って理解できたように思う。

朝起きて、手を洗って、身支度して、手を洗って、ご飯を作って、手を洗って、妻に出して、手を洗って、自分も食べて、洗い物をして、手を洗って、洗濯を回して、手を洗っているうちに始業時間となり、仕事をする。休憩時間になったら手を洗って、昼ごはんを作って、妻に出して、手を洗って、自分も食べて、手を洗って、洗濯物を干して、手を洗って、洗い物をして、手を洗っているうちに休憩が終わる。終業時間まで仕事をしたら18時半ごろ。手を洗って、夜ご飯を作って妻に出して、手を洗って、自分も食べて、手を洗って、洗濯物畳んで、手を洗って、洗い物をして、手を洗って、気がつけば1日が終わる。(まじであらゆる動作の前後に手洗いしている。気になってしまう。)

リモートワークができていて、なお、この状態である。肉体の移動がある場合にはどうすればいいのだろうか。そしてこれが育児や介護であれば、年単位で続いていくのだ。めちゃ大変。

さらに妻は妻で、家事のウエイトが夫に寄っているのを心苦しく思ってしまう。夫が忙しなく家事をしているのを見て、病気になってごめんね、という気持ちになってしまう。病気になった妻が悪いのではない。生活をしていれば一定確率で罹患するものなのだ。誰一人悪い人はいない。病気がそこにあった。ただそれだけの話。と妻に言い伝えるも、僕は僕で忙しなく生活と仕事をしているものだから、だんだんと優しくなれなくなってくる。人間の感情は脆いものだ。

総合的にみて、実務の大変さやお互いの精神衛生の観点からも、できればもう自宅隔離したくない。一刻も早く、妻と一緒に食卓を囲みたい。妻を自由に動き回せてやりたい。この一心である。

 

巷では、新型コロナウイルス感染症法上の位置付けを5類相当まで引き下げる話が議論されている。何を目的に変えるのか、何がどう変わるのか、その時に何が起きるのか、考えてみようと思ったが厚労省のページから考えるに足る情報を見つけ出すことができずに終わった。全員がハッピーになる判断や決定なんてあり得ないのだから、国益が叶う方向に突き進んでいけばそれでいいし、それに従って僕は僕として、生活なり仕事なりをアレンジしてきたい。

以上、雑多な感想文でした。