トピック「2014年のお別れ」について
もうすぐ終わりを迎える今年。
終わりを迎えたものもあり、コンニチハしたものもいくつか。
トピックで、2014年のお別れについて書けと綺麗におぜん立てをしてくれることをいいことに、ここはひとつ素直に乗ってあげようと思う。
お別れ
ひとえに陸上でしょうね。
なんやかんやと10年も続けてきた陸上に9月に一区切りをつけた。中学1年の頃に、エイヤ!ってクラウチングスタートをかましたときに生まれた子供が立派な小学四年生である。長いのね、10年。短距離選手なのにマラソンしてきた気分だぜ。
10年ぶりにこの先何一つ運動に関する予定がない今。陸上競技という価値観から離れてみて、なかなかに狭い世界で生きていたもんなんだなと感じることもある。
きっと、頑張ることは誰にできることでもない。10年間一つの事に本気で打ち込んできたんだって事実は、ある程度社会的には認められうるだけの頑張り屋さんと言えるのでしょう。
だけどもだけど、10年間同じ種類の水につかっていると、その水が人生のすべてになってくる。
特にうまくいっていない時の捉われようはひどい。
上手くことが進んでいるときには気にもしないようなことが、うまくいっていない時には気になって仕方なくなる。早寝早起きに捉われたり、食生活に捉われたり。
大学に入っての陸上生活は、それはまあ不本意の塊のようなそれだった。そのせいでものすごく陸上に捉われたなぁという思いが強い。
実際離れてみるとよくわかる。自分が真剣に捉われていた事の些末さ。
もっと気楽な大学生活が送れていたらよかったなぁって気持ちもないわけではない。陸上さえ、劇的にうまくは行かないまでも、高校時の現状維持くらいの飛行高度を保てていれば違う大学生活だったはずだ。
それでも怪我の功名とはよく言ったもので、ダメからしか知れないこともたくさんあった。些末なことに捉われなければ知れなかった些末じゃないこともあった。
自分の体の事もそう。どういう練習があっていてどんな練習が合わないのか、どういう風に大会に持っていったら上手くいくのか、なんてこの先使うこともないかもしれない細かなこともそう。
なにより、何をしてもダメな時の気持ち。
これを知れたのは大きい。
大した努力もしないで上手くいった高校時代の陸上では確実に経験したことのない辛さだった。酷い話、うまくいっていたときには目にも留めていなかった人が感じていたであろう苦労を知ることができた。
何度か経験した、怪我の苦労ともまるで違う。怪我の辛さは、直った時への希望がある。けれど、練習を必死にやって、食生活を考えて、睡眠を考えた末の上手くいかない状態には希望も何もない。縋る藁もない。
自分はそこから浮上することはできなかった。低空飛行のまま競技生活を終えたわけだ。だから同じ苦しみを感じているであろう人にアドバイスができるわけでもなければ、浮上していたところで至極プライベートな問題だから、参考程度にすらならなかっただろう。
けど、同じような苦しみを知っていることは、気持ちの面で大分違うと思う。人を見る目も、人当たりも、なんかどこか前と変わってくれてるんではないか。
そんなことを思っていたりする。
何そんな捉われてたんだろーなーって点に関してはこれから盛大に取り返します。間に合うしょ。きっと。
コンニチハ
まず、ブログを始めた。
文字書くことが好きだったし、就活通して感じたちゃんと物事を考える力なんてものが身につくのではと、希望的リフレインを抱きながら始めたのだが。
書くことは楽しい。ただ読み返したりすると自分の言葉づかいのワンパターンさにビビる。
慣用句を中途半端に英語にしてみましたシリーズや、慣用句をちょっと極端にして見ましたシリーズの多さ。っていう・という・って思ってあたりの使用頻度の高さ。
これは直さなと、ひしひしひしひし感じております。
読みやすい文面にしないとな。少なくとも嬉し恥ずかし社会の目に晒しているわけだからな。
あとバイト。
これから行ってくるうううううう。
昼に地下に入ったら出てくるの深夜ああああああ。
夜に地下に入ったら出てくるの朝あああああああ。
あぁ。がんばる。
マネー!マネメイクスヒムクレイジィィィ