徒然雑草

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Let it goに感じ続けた違和感を探る

カラオケ店でバイトをしていると、なんの曲が巷で大多数の支持を得られているかがわかる。年代ごとのホットソングもわかる。

お年寄りは見事に演歌を歌い、熟年層は歌謡曲やアニソンやアイドル、おじさんとお兄さんの狭間あたりにGLAYとかラルクとかの波が来て、若者は西野カナと世界の終わりだ。そして幼子たちはゲラゲラボー体操第一ウォッチッチを乱舞する。

時代を彩る歌もあれば、誰彼構わず歌われる歌もある。中島みゆきや、ミスチル、サザンあたりはどの部屋でもどの年代でもなんとなくわかる曲らしい。そこら中から聴こえる。

去年鳴り物入りでその仲間入りを果たしたのが、Let it goである。

 

レリゴーままのーケェンホーリバッせるのよー

 

アナと雪の女王の主題歌が大ヒットした。松たか子が歌ったりmay.jが歌ったり、海外のほんまもんのLet it goがあったり。どれが本物でどれが偽物やらもわからない、みんな違ってみんないい、群雄割拠Let it goである。

数ある種類の中で、カラオケでもっとも歌われているのが、日本語バージョンである。めったに英語のLet it goは聴かない。輪唱みたいにして聞こえることも多々。

ディズニーなんも知らない人間でも、さすがにここまで聴かせられるといやでも覚える。歌詞とかもまぁ覚える。ついでに違和感も覚えるのだ。

歌詞とメロディーが合っていない。

サビはまぁいいよ、もうなんかアナって免罪符を突き付けられてる感じがして、何も言えないよ。でもおかしいんだ。違和感しかないんだ。

Aメロを考えてみる。

降り始めた雪は 足跡消して

真っ白な世界に ひとりのわたし

may.jでも、松さんでも、歌っているところを想像してみてほしい。漢字無しでで書き起こすとこうなる。

ふりーはじめーたーゆきぃーは あしあとーケシテ

まっしろなーせかぁーいに ひとりのーワタシぃ

違和感ポイントとしてまず最初のバースが挙げられる。

ふりーはじめーたーゆきぃーは

日本語の音節の切りかたから言っておかしい。似たような違和感の代表的な例として宇多田ヒカルのAutomaticがある。 

七回目のベルで受話器を取った君 

これが音に乗ると

 な なかいめのべ るでじゅわきーをとぉーったきみー  

となる。初めて聴いたら何のことやらわからない。 聴き慣れたからこそ分かる。

しかしジャパニーズlet it go~ありのままで~の場合は、何度聞いてもなんかざらざらする。なんでだろうか。

根本の理由はこれとは言えないが、宇多田との違いは、日本語に聞こえるか聞こえないかの差だと思う。Automaticは、日本語に聞こえない。少なくとも日本語だとわかっても意味のあるまとまりには聞こえない。宇多田さんがブラックミュージック起点に曲を書いたのもそうだし、七回目のベル専用のリズムと曲だから、それとして受け取れる。

一方のレリゴーは、きちんと日本語に聞こえる。そりゃディズニーだから子供にも聞こえるようにしないとね。なまじ日本語に聞こえてしまうと、余計音の区切りに違和を覚える。ついでに、降り始めた雪用のリズムと音ではない。The snow glows white  on the mountain tonight用のリズムと音である。違和感から逃げられそうもない。

 

第二の違和感ポイントが、文後の、ケシテ。

囁くように、けして。後の、「風が心にささやくの」に係っているではないかと思われるほどの囁き加減である。日本語を無理やり突っ込んだ感じだ。

 

そう、すべての問題は、英詩ありきの歌に日本語を無理に入れているところから始まっているのである。

別に和詞をどうこう言っているわけじゃない。ヒットしているのだし、素晴らしい和詞なのではとも思う。ただ、英詞の意味を忠実に守ってしまったが故の言葉の制約によって、リズムにいまひとつ乗れないLet it goが生まれてしまったのではないか。

 

和訳と和詞は根本的に違う。

和訳は、英語の歌詞がわからない人のために、その意味を教えてくれればいい。だから音の区切りなんて気にしないし、どんな説明口調になってもある程度許される。

和詞の場合はそうはいかない。英語の歌に日本語の歌詞を着けなければならない。英語の意味も守りつつ、原曲の節に合った言葉で詞を編めれば完璧だ。しかし、言語同士、そんなに互換性がいいものではない。齟齬が必ず生まれる。

音楽を音楽として成立させようと思うとき、リズムは必ず守らなきゃいけないものだと思う。意味は二の次だ。机をたたくだけで音楽は成立するが、文章を書いたり、喋ったりするだけでは音楽が成立しないあたりでもリズムの重要さがわかるだろう。

そのうえで意味が多少ずれても、それはそれだと思う。

忌野清志郎が歌った、デイドリームビリーバーなんて、モンキーズが意図した歌詞からは明後日の方向に飛んで行ってしまっている。しかし、受け入れられているのは、日本語で曲のリズムに乗せているから。原曲の意味を丁重に無視したうえで、日本語の切なさが満載の歌詞になっているのである。

 

Let it goの場合、和訳と和詞の狭間のような歌詞になってしまったことが、リズムに乗りきれない原因なのだろう。日本語として新たな曲を作るつもりで詞を書くか、英語の音の響きを忠実に守った詩を書くか、どちらかにした方がよりよいLet it goが生まれたのではないかと思う。

 

それを含めてありのままの自分を見せた歌詞なのよって言われたら、私、もう何も言えません。

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