白い恋人と呼ばれたり、遅延の権化呼ばれたり、南国の子供たちを喜ばせたと思えば北国の大人たちを辟易とさせる、雪。
降ってくる様ははらはらと美しいくせに地面に落ちてしまえば溶け、積もってしまえば踏み固められてがちがちがりがりになり、溶けだしたらぐずぐずになって汚くなってしまうもの、雪。
雪という文字もなんだ、ごまかされているようにしか思えない。
雨+ヨ=雪
雨よ雨よと言いつつも実は雪でしたー。残念でしたー。
ふざけているのかと。誰もお前なんか望んでないわと。北国生まれはそう思うがしかし、南国の方々はこのフェイントすらも雪のいたずらとか言って、粋なやつだねと思うのだろう。
今、巷をにぎわす話題の中に、SEKAI NO OWARIのドラゴンナイトがなんて聞こえるかというのがある。
ドラゲナイだ、ジャーゴナイだ、ジャーゲナイだ。
有線で延々と聴かされている自分としても、結局何が言いたい歌なのか、一向に見えてこない歌だ。雰囲気イケメンになり損ねたソング。
ただ、どうやら、要旨をかいつまむとこういうことらしい。
君の正義とか僕の正義とかいろいろあって、お互い傷つけ合ったりとかしちゃうけど、太陽がどうかなってるドラゴンナイトだけは、みんなで楽しくワイワイやろうぜ。スターリースカイ。
まずはドラゴンナイトの定義をですね…なんて野暮なことはいい。気になるけど。
つまりは、なるほど、正義の反対は別の正義ということを教えてくれているらしい。あえてドラゴンナイトというわかったようなわからないようなファンタジカルな言葉に和えて。
結局、感じ方次第なわけだな。雪も正義もドラゴンナイトも。
商業的には、すなわちSEKAI NO OWARI的には、こうやって話題になっていることでほくそえみが止まらないのだろう。
コングラッチュレイション グラッチュレイションである。
売れたもん勝ちですね。濡れたもん負けです。
べっしゃべしゃな雪の街を歩きながら思った諸々でした。