徒然雑草

踏みつけられるほどに育つ

満足の極致は後悔だ

過ぎたるは及ばざるがごとし。チキンレースでも、ブラックジャックでも、既定の位置や数を過ぎてしまったらそれはゼロである。行き過ぎは出発していないのと同じだ。

格言になっているほどだ、ゲームの世界だけにしか落とし込めないようなそれじゃない。日常の生活でも如実にそれは感じられる。

 

いま、ものすごく満腹だ。苦しい。胃袋が自分の形を主張してくる。

ここからここまでが僕だよ。ほら、こんなに食べ物詰め込んだよ。よくやったでしょう。今から消化するからね、ちょっと待ってね。

待てません。辛い。どういう体制がいいのやらもわからない。寝ても、起きても、正しても、猫背しても、胃袋が気になる。思いついて腹筋とかして何ともつかない何かを促してみようとするものの、うんともすんとも言わない。むしろ何ともつかない何かがこみあげてくる。酸っぱい。

これだったら空腹の方がまだよかったんじゃないか。飽食の時代だ。我慢ならない空腹の波が襲ってきたときに満足するだけ食べればいい。波が来たときに対応できないなんてことは、少なくとも東京にいればない。

口は入れるところなのだ。基本一方通行なのだ。入れすぎても出すことは容易じゃない。相当の苦痛を伴う。だったら消化を待つかと諦め、しばらくの間は満腹の苦痛に身を預けるのみだ。それが嫌な食べすぎるな。

わかってんだよな。わかってんだよ。

 

寝すぎの後悔も似たようなものがあるんじゃないか。時間を無駄にしてしまった後悔。寝るという行為自体は幸せなものだとしても、行き過ぎると後悔になる。一般に6時間から7時間の睡眠の時に、程よい疲れの抜け方かつノー後悔の満足を得られるとされる。

するとどうだ、人間の満足ポイントの狭さに驚く。

満腹中枢が手を挙げた瞬間に食べるのを辞めたとて、それは若干オーバーランだし、気の向くまま睡眠したとしたら確実にオーバーランする。頭の満足と体の満足が若干ずつずれているのだ。ここを合わせるのにものすごく苦心する。頭でちょっと足りないくらいが体の満足だったりする。八分目ですよね。

一瞬で通過してしまう満足ポイントに美しく縦列駐車したい。最上の満足だ。満足したい。満腹は入らない。満腹は満足じゃない。八分目が満足なのだ。

 

こうしている間に消化してくれるかと思っていたけど、今回のこいつは甘くないらしい。眠気と苦しさが合わさったら翌日の消化不良は勝手に導かれる。Eと言ったらmc^2みたいなもんだ。答えの導き出されている袋小路に飛び込む愚かさと言ったらない。がしかし、負けるとわかっていても引けない戦いもある。ごり押ししなきゃいけない主張もある。もたれなきゃいけない胃もあるだろう。

満足と後悔と食物を明日に持ち越して、寝ます。