徒然雑草

踏みつけられるほどに育つ

予備知識なしの感動を

今日、あなたは電車で傘を忘れるでしょう。
って朝枕元で大天使的な誰かにお告げをもらって、何事もなく傘を忘れたらへこむだろうか。
うーわ、やっぱ忘れたわー。やっちまったー。
へこんでこのくらいだろう。予告なしの傘紛失よりはまだダメージが少ないはずだ。
心の準備があるのと無いのとでは、とっさの負担がまるで違う。

名古屋に向かうバスの中。まるっきり1人で享受する自由による心の乱舞も一区切りし、あまりに長い静岡ゾーンに辟易としていた頃。
あーもう寝よう。寝て起きたら名古屋に着いててもらおう。
リクライニングを倒して左をみたら、そこには何食わぬ顔で太平洋が広がっていた。昼間といえど冬場のせいで若干傾いた日差しを受けて、それはまぁ綺麗に光る海だった。対岸に見える半島も、稼ぎに出ている漁船も、絶妙な配置で佇む。猛烈に旅行に来た気分にさせてくれる海だった。誰とも分け合わないでいい感動を久しぶりに覚えた。

もしあの時に、これから太平洋沿いに出ますので、皆様左側に注目してください。海が云々…
とかいうアナウンスがなされていたとしたら、あの瞬間の感動はあり得なかったと思う。
ふらっと何かをすることで地雷を踏むことはとても多い。小指の先ほども面白くない映画を借りてしまったり、カットモデルに入ったら途轍もないビギナースタイリストと巡り合ってしまったり。予備知識があったら絶対やらなかったわってことを平気でする。
しかし、予備知識なしで大きな魚を釣る時の高まりは何にも代え難い。世の中全てが自分に微笑んでるんじゃないか程の錯覚を覚えたりする。
何しろ知識が溢れている時代だ。いつでも何処でも便利な知識を齧れる。美味しい店も面白い映画も名盤も全部ネットに転がっている。外さないためのツールとしてはこの上ないが、美味しいものだと思って美味しいものを食べたときに期待を大きく超えるほどの感動を味わえることはあまりない。不意打ちこそが最強の落差を生むから。下手な鉄砲を乱射した後の感動こそが本質なんじゃないだろうか。

家を出て立ったの数時間で、これだ。もう旅行で何かを悟る気満々だ。何がまったりだと思う。嘘八百かよ。
もっとくだらないこと考えてこれから過ごそうと思います。