徒然雑草

踏みつけられるほどに育つ

断捨離引越宣言

三月末日に四年間住み続けたアパートを出ることが決まった。徳俵ぎりぎりの世田谷区から、威風堂々江東区への引っ越し。シティボーイになれるに違いない。

四年も住めば愛着が湧く。小学生の頃飼っていた、日向ぼっこのために命を燃やし尽くしたカブトムシ君の事を今でも覚えているくらいだ。四年も住めばきっと死ぬまでこのアパートの事は覚えているに違いない。窓から隣の家の窓が見えるという絶景のことも忘れることはないだろう。

新居に滑り込むにあたって引越は避けて通れない作業だ。永遠のバックパッカーでない限りは、家具や寝具はあって当たり前なわけで、それを運び込まねばならない。四年前、がらんどうの空間を埋めるべく買った家具が、ある意味で足枷のようにのしかかってくるのである。

家具をどうこうするのは、実際現実的ではない。引き取り料等、馬鹿にならない金額がかかってくる。じゃあ何がどうこうできるか。服だ。衣類だ。

タンスの中に眠っておられる服。そもそもファッションに関しては無頓着な人間だったため、着られればそれでいいスタンスで実家から色々と持ってきた。東京に出てきて四年。否が応にもそれなりの美意識を植え付けさせられるわけで。ぼちぼち買ったりなんなりしていたが、処分することはあまりなかった。

いざ引っ越すに当たり。社会人への階段を登るに当たり。いらない連中をことごとく処分してしまおうと思う。靴下とかもそう。パンツとかもそう。もうあらゆる最近着ないアイテムや最近使わないアイテムを身から遠ざける。もしかしたら着るかも使うかもなんて甘っちょろい考えは断つ。捨てる。ただそれだけに特化したトラッシュマシーンとなって新居のドアを開けたい。

もう春だ。冬ものなんて来シーズンまた買ったらいい。捨てる。

春ものもよくわからんロゴとかが入ってるシャツしかない。捨てる。

そもそも服に無頓着な人間だ。四年間住み続けたどころじゃないほど長い間着ているはずの服たちには特別愛情はない。むしろ捨てて当然か。そんな古い服は。

人の細胞は大体2か月から3か月くらいで一新するらしい。であれば、何年も大して高くもない同じ服を着ること自体が理にかなっていないのだろうし、使うかどうかも知らないごちゃごちゃをステイさせておくことなぞアウトオブ論であるに違いない。

さらば諸々。