徒然雑草

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「時間あったら」でごまかす叶わない夢

時間あったらTSUTAYAのDVD片っ端からぼけーっと見てみたいなぁって思ったことがある人は多いんじゃないか。同じように、時間あったら本屋の本片っ端から読破してやりたいなぁって思ったことがある人も多いでしょう。きっと。
しょっちゅう考える。せめてがっつり時間あって一日中二日中読書しててもいいなぁって思える日があればいいのにって考える。
 
この、時間あったらなになにしてみたいって願望を叶えるチャンスが今、ことごとく過ぎ去って行っているのにはたと気がついた。
社会の切っ先が喉元に突き付けられている今日この頃、遊ぶにも何をするにも無駄なくやってやりたい気持ちが強くなっている。誰と会うにも、何をするにも、自分が会いたい!遊びたい!って心から望む人とだけそうしていたいと思ってしまう。気持ち良くない話だけど順序は着くよね。人にも、会にも。
勝手にタイトに日程を詰めなきゃと強迫しているからして、何気なーく本を読んだりという時間あったらしたい枠の諸々にはもう手が回らないわな。かといって社会に串刺しにされてから、どれほどの時間が取れるかは甚だ怪しい。それなりに出来るだろうけど、少なくともTSUTAYA片っ端ほどの時間なんて取れることは向こう四半世紀ないだろう。焦りのような、切ないような感管を覚える。
 
結局、時間あったら〇〇したいってことは、大してやりたくないことなんだろうなと思う。本当に何かをしたいと思ったら無理にでも時間作るし、確保する。このたびの旅行ラッシュも、本当にしたい事だったからバイトやめたりしたわけだ。
日常を埋め尽くしてるのはやらなきゃならない事で、それ以外をやりたいことで補う。最後の最後まで残った時間で時間あったらやりたいことが出来るのだけど、可処分時間が果たして何処まで残っているか。疑問疑問。無意識のうちに全部悟った上で、優先順位を決めて、叶わない夢を「時間あったら」って魔法の言葉でごまかしてるんだろうな。
何やってもいい大学四年間。叶わない夢を叶える絶好のチャンスだ。そいつを陸上に捧げたって体で、時間あったらの夢を叶えずに終わった。勿体無かったなぁってすごく思う。今になって。一方でこのまま終わってたまるかとも思う。
めっちゃ田舎の極小TSUTAYAくらいのDVDと、めっちゃ田舎の役場に併設されてるような図書館にあるくらいの本は絶対むさぼってやろう。四半世紀以内に。