徒然雑草

踏みつけられるほどに育つ

スマホと情報社会への危機感

なにもしていない人を探すのが難しい世の中になってきている。あらゆる作業、あらゆる移動に、皆何らかのオプションを付与している。ながらスマホ、ながらノベル、ながら新聞。

スマホないしはソーシャルネットワークの普及によって、誰もが相当な能動的な活動をできるようになった。こういうブログでも、大多数に考えとか毎日の嬉々や鬱憤を知らせることができるように。140字然り。


つまり誰もが、情報を受け取りやすく、情報を発信しやすい状態なわけだ。


昨日、栄養がどうこうという話をした。胃袋や腸はそう簡単に栄養素を吸収しちゃくれない。来た食べ物をとりあえず受け取って、最低限の吸収しかしないでベルトコンベアに流してしまう。

ギャーギャーうるさい耳栓を突っ込んで手のひらの大世界とにらめっこしまくっている人ばっかの車内や食堂内の景色と、吸収されない栄養素がなんとなく重なった。


現代人は致命的になにもしていない時間不足だ。新聞や雑誌のような紙媒体だと、終わりがある情報でも、ネット媒体だと終わりがない。どこまでも情報を漁れるけれど、終わりがないから自分で区切りをつけねばならない。しかしスマホ内にはゲームが入っているから、仕入れた情報をほっといてそっちに走る。頭は使わない。情報は消化されない。

かつての有限の情報であれば、自制もなしにうまく機能していた脳の情報消化機能が、現代では自分で消化する気にならないと消化されなくなっている。

これに気づいていない人が多い。

手持ち無沙汰こそ頭を働かせる絶好の機会だったはずだ。しかし便利がそれを食い尽くした。何でもできる自由が、何かしていないといけない強迫観念へとすり替わった。


かくいう自分は情報盲である。何しろテレビがない。けど、だからこそどうでもいいことを考えられる。どうでもいいことをどうでも良くないようにごまかして考える。

胃腸の調子がいいってことは、健康のバロメーターにもなり得るだろう。だったら脳もそうだ。考える胃袋は脳だ。脳の調子をずっとよくしていたい。

なにもしない時間を追求して行きたい。