徒然雑草

踏みつけられるほどに育つ

ごめんなさいのwriting you

どうでもいいことがいつまでも気になったりする。夜に前の日に結果的にポイ捨てのような方法で捨ててしまったゴミのことが不意に気になってものすごく後悔したりする。このスイッチが入ったらなかなか元に戻らない。

神経質なんだろう。ちょっとしたことなんて気にしないし気にならないし人にどう思われたってへっちゃら人間には、こんな些細すぎる悩みは無いのだろう。めっちゃ気にする。人にどう思われるのとか気にする。そう思ってしまった相手の気分を害してしまったことまで気にしてしまう。さらに自分の所属している団体や学年への影響とかまで考えてしまう。ゆとりとか。そういうの。

自分の意思で起こした物事に関してはあまり懺悔の気持ちは起こさない。その瞬間、行動を起こすだけの意思が介在していれば後悔は少ない。どちらかといえば、全くそうする気はなかったのに起こしてしまったミスへの懺悔。こいつは凄い。意思が混じらないからこその後悔がすごい。

なにって、昨日会議室にペットボトルと缶コーヒーを忘れたのが今思い出されて仕方が無い。上司にどんな目で見られたことか。あぁ、新入社員こんなもんかって絶対思われたわーって気持ちが波のように押し寄せる。波だけに絶え間ない。

声を大にして叫びたい。他意はありませんと。敵意もありませんと。ただたまたま置いていたそれらのことをついうっかり忘れてしまっただけなのです、ゴミは必ず持ち帰るように小学校の先生に言われてから厳守しているのですと。

でももう伝わらない。定期的な会議でもなかったからもう2度とあの上司の方とは会わないかもしれない。俺がそこに座ってたことすら覚えていない可能性もある。結果、今年の新入社員はゴミを置いて行くような奴らなんだってひどい風評被害の発信源になっている可能性だってある。

あぁぁあぁ。今にも叫び出したい。いや、もう親指が雄弁すぎるほどに叫んでいる。滾っている。懺悔に燃えている。

現代のいいところはこうした行き場の無いモヤモヤを手軽に吐き出せる場所があることだ。助けられている。テクノロジーに助けられながら酷くアナログなミスをする。どうしようもない。

ただひたすらにごめんなさい。来週には忘れるので、今は許してください。