徒然雑草

踏みつけられるほどに育つ

スランプにならないために、抜け出すために。

スランプ。

どうしても上手く行かない時期のことを指す。日常、そう使っている。本来の意味は知らない。辞書的な意味も知らない。

部活をやめて、OBとなってから、後輩たちの記録が気になるようになってきた。自分が選手の頃は部活のホームページなんてほぼ見ていなかったが、OBになってから頻繁に見るようになった。

十人十色の記録が並ぶ。自己ベストを出す人、出せない人、記録を上げる人、落とす人。


いまやトンデモ有名人となった武井壮。彼が有名でもなんでもない頃、陸上の外部コーチとして練習を見てもらったことがある。高校2年のころだ。講話もしてくださった。

彼は、練習している限り自己ベストは出続けるという持論をもっている。当時も話していた。

確かにその通りなのだ。速くなるため強くなるために練習して、遅く弱くなるはずがないのだ。

だが、現実問題として、遅くなることも十分にある。体のピークが来る遥か前、十代にでもスランプは存在する。

なにが原因なのか。


僕自身もスランプになった。スランプというか、練習しているのに足がどんどん遅くなっていった。ざっくりいえば大学の四年間は脚が遅くなる期間だった。練習ガチンコでやりながら。

真っ只中じゃわからないことが多々ある。なにしろスランプの渦は深い。冷静に対処するのも難しい。

どうしてスランプになり、どうしたらスランプから抜けるのか、スランプOBとして考えたい。


原因

二つあるでしょう。

体調の変化

環境の変化

大きくこいつらが原因だ。心の変化もあるかもしれないけれど、競技やプレーに影響を及ぼすのほどの変化はそうそうない。プレー中は無心になれる場合の方が圧倒的に多い。


まず体調。成長期だと体重の変化や身長の変化。こいつらのせいで動きが変わり、本来持ちうる力が出せなくなることが考えられる。ただこの身体の変化はプラスに作用することも同じだけある。大きな動きができるようになったり、より筋肉がつくようになったり。

となればやはりだ、環境の変化が大きいだろう。指導者の変化、練習環境の変化、仲間の変化、生活環境の変化。中学→高校、高校→大学の節目でスランプに陥る選手の大半はこの環境の変化に苦戦している。


対処

環境の変化について書く。体調は抗い用のない部分もあれば、自己管理でまとめられるところでもある。言ってしまえば自分自身がそこにあまり苦労してこなかったからなんとも語りようがない。経験したことしかうまく話せない。

環境の変化で調子を落とす人は、もれなく好調の理由がわからなかった人でもあるだろう。スランプなるということは、好調だった過去もあるということで。良いときを知っているからこそ、スランプが辛いわけで。

スランプになってみて、ダメになってみて、それから悩むのじゃ遅いのだ。本来は良いときや好調時に、今なぜ好調なのか、これまでどんな練習をしてきて、それでどこをどう鍛えてきたから調子が良いのかを考えなければ、悩まなければならない。

好調時ほど自分の身体に向き合うのが怖かったりもする。深く考えれば考えるほど、好調が逃げて行ってしまう気がするのだ。

また、好調のときは好調が終わることは怖がるわりに、自分がスランプに陥ることはあまり想像しない。怖がりながら盲目的に思考停止ランニングを続ける。


自分の好調の原因がわからないと、復元ができない。環境は刻一刻と変わる。進学なんて最たるものである。練習環境が変わったのち、その環境が自分とあっていなかった場合、必要な練習が増える。自分に必要なトレーニングも並んでやらなければならない。コーチが練習を決める環境であれば尚更。


とにかく自分を知らねばならない。自分ができていたことは、なぜ出来ていたのか。得意だったことはなぜ得意だったのか。苦手になったとき、得意になるためにはなにをすれば良いのか。自分で考えなければならない。

ひたすら練習を繰り返してスランプを抜けた体験をした人もいるだろう。多分それは過去の動きとは変わっているはずだ。疲労の極限まで追い詰めて、身体が無意識に楽な動きを求めた末、動きの合理化がなされたのだと思う。理詰めの復元とは違う。リスクが大きい。


結論

一度でもこれはいいというコンディションになれたなら、こと細かに自分を分析すること。スランプを防ぐ意味でも、抜け出す意味でも、これに尽きる。

冷静に見られないときは、人に話す。相談をする。なぜいま自分は調子が良いのか。どこの動きが良くて、どこの力が強いのか。なぜダメなのかを話すより、こちらの方がずっと生産的だ。楽しいし。


アスリートとして、当たり前のことなのだろう。自分を知ること。けど、出来ていないからこそスランプになる。出来ていてもなる人はなる。超一流のスランプになどは、計り知れない原因が潜んでいるのかもしれない。なにしろ自分を突き詰めている人たちが陥るスランプだ。考えても考えても抜けられない、より深いスランプなのだろう。

だとしても、考えねばならない。

コーチ任せにせず、自分で自分を知らなければならない。


僕自身、人に任せていた部分が大きかった。考えないで、引っ張ってもらったまま、走っていた。

運なのだ。コーチの練習が自分とあっていたから、早く強くなった。ただそれだけ。コーチという牽引車に引っ張ってもらいやすい形の荷物だったに過ぎない。

結局車ではなかった。自分では走れなかった。

未来あるスポーツ選手諸君にはぜひ同じ思いをして欲しくない。しんどいよー。うまくいかないのは。

今後の自分に役立てばなお良いなと思い、綴った次第です。