徒然雑草

踏みつけられるほどに育つ

一人暮らし淘汰

最近、あんなに大好きだったサッカーを追わなくなった。リーガエスパニョーラの選手有名どころの選手なら八割九割把握して、バルサレアルアトレティコあたりの選手は控えまで覚えていた中学時代。当時の熱意はもうない。

ゲームもしなくなった。寝ても覚めても夢の中でも起きてもゲームを考えていた。攻略の道筋、育成の道筋を考えるのが好きだった。育成シュミレーションが特に好きで、モンスターファームデジモンに熱をささげた。当時の白熱は黒く冷めた。

 

実家にいた頃はどれもそれなりの興味と関心をささげていた気がする。サッカーも熱意のピークを過ぎたとはいえちゃんとミソは抑えていたし、ゲームもたまに取り出してはどんなモンスターを作るか、どんな選手を育成するかに頭をひねっていた。

ところが一人暮らしを機に、大きく変わった。

まずサッカーも見る環境がなくなったら追わなくなった。リアルタイムないし録画で見られていたから見ていたし、実感を伴って選手も覚えた。だがしかし、受動的に見られなくなると、能動的に見るほどの事でもないかと思い始めた。いや、意識するでもなく離れて行った。欧州サッカーは、自分の中でマストのものじゃなかったのだ。いまだに本屋に行ったらワールドサッカーダイジェストだなんだと立ち読みする。月間陸上競技よりも優先順位は上だ。でももう浦島太郎に近い。知らない若手選手、監督のシャッフル、やめた名選手。哀しいほどにわからない。

ゲームもしなくなった。電源もつけなくなった。実家ではコンセントは基本的に接続されていたが、もう今はマッサージクッションにその座を奪われている。何しろ現在部屋にテレビがない。パソコンのディスプレイでやろうと思えばできるが、底までの熱意もない。

 

生活環境が変わると、自分の興味関心の周辺にある部分が淘汰されていくらしい。根幹の部分は一人になろうと誰と暮らそうと変わらないが、家族に影響を受けていた部分、それでいて影響が自分の根幹まで実は根づいていなかった部分がどんどん削られていく。

結果、今は音楽と本とパソコンしかしていない。つまりは楽器を弾くことと曲を作ること、本を買うこと読むこと、キーボードをパタパタして文章を作ること。これらが自分の根幹だったらしい。

何が本当にお気に入りなのかわからなくなったら、自分探しの旅なんてしなくて2か月一人暮らしをすればわかる。いらないものから、しなくなる。アイデンティティがないと叫んだ我らが北海道を代表するバンド、サカナクションにも一人暮らしを勧めたい。