徒然雑草

踏みつけられるほどに育つ

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なぜ人は旅行をするか。

どうやら日本はいま観光立国ってのを目指しているようで、海外からの旅行客をいかに増やし、どれだけのお金を落としてもらうかを考えに考えているらしい。旅行に来てもらう時のファーストチョイスに上がるべく、外からみた日本像と自分たちが思う日本像を擦り合わせたり、意外性を提示したりして、魅力的な国を作ろうとしている。

観光立国が成り立つ前提として、「旅をする人が多い」というのがある。そもそも人間は旅行が好きで、自国の魅力をあげれば旅行先として選んでくれると。旅をさせる焚き付けよりも、旅の選択肢に挙がる努力をしている感が強い。


先日、職場の人が休暇から帰って来て、お土産を持って来た。アイスランドまで一人旅をしたらしい。

はぁ、アイスランド。どこにあるのですか。スカンジナビアですか。へえ、イギリスの北西だかにあるんですか。国旗はね、わかるんだけども。

すげーなーと思った。アイスランドまでなにがお主を駆り立てたのか。わざわざ寒いところまで、なんのフェロモンにおびき寄せられたのか。

ただひたすらに、その行動力に驚いた。

だが、周りの感想は違った。驚きよりも羨望の方が強かった。

みなさん、旅がお好きなんですか?聞いてみた。誰もが首を縦に振った。そりゃあもちろん。間髪も入れず、微塵の疑念も挟まず、頷いた。

むしろあなたはどうなのと尋ねられ、困った。旅が好きかと聞かれて、頷くほど旅は好きじゃなかった。


固定観念を超えた森や、湖や、人や言葉に圧倒されたいのもわかる。でも、旅行へ突き動かすほどの衝動かと考えると違う。

確かにマチュピチュは死ぬまでに一度いきたい。けど、マチュピチュに3回は余裕で行って帰れる経済力がつかなかったら行かないだろう。優先順位は限りなく低い。旅のために時間を作ろうとか、旅のためにお金を作ろうとかまで旅に懸けるものがない。


この2月3月とゼミのお疲れ旅と一人旅と卒業旅行をした。卒論お疲れ様の旅と自分のルーツを探す旅と四年間部活がんばったねって仲間たちと労いの旅。

どの旅も、旅先に求めるものより、旅の友に求めるものが大きかった。または、目的の知的好奇心がすごく自分に近いものだった。漠然とこれが見たいとか、あれが食べたいとかで決めた旅ではなかった。


旅慣れていないからハードルが上がっているだけかもしれない。だが、旅をするのに肝心な思考過程が欠けている可能性もある。

旅が人並みに好きな人は、一体なにを思って旅行するのか。日常からの逃避か。まだ見ぬものへの好奇心か。

前者だろうな。前者だろう。

夢を見る時に現実に沿った夢を見る人はいない。大概あり得ないことが起こる。あり得ない場所にいる。フロイトの言うとおりに、夢が無意識の現れだとしたら、誰もが皆日常からの逃避欲求を持っていることとなる。夢を写し絵とするなら。

コンクリートとビルと植木に囲まれた日常だと、石畳に憧れるわけだ。だだっ広い畦道が愛おしくなるわけだ。それで旅をしようと決意するのだろう。


旅にそこまでの熱を上げていない人は、それなりに日常を悪くないと思っているのではないか。だからどれだけ行きたい場所があっても、それにかかる費用とか評判とかが頭をよぎる。帰宅後の疲れとかまで考えてしまう。

ある意味幸せかもしれないな。貧乏舌がなに食べても美味しいように、日々がそれなりにやって行けているのだ。毎日食べているものが美味しいなんて、そんな幸せはない。


そうかなるほど、もっと日本の景気を上げるためには諸外国の皆様が日々に退屈なさっていただければいいんだ!ってそこまで考えたけど罰が当たりそうなので、世の中のつつがない平和と我が国のますますの発展を祈ってしめます。


あー、マチュピチュには行きたい。