徒然雑草

踏みつけられるほどに育つ

カレーの隠し味が味にどこまで影響を与えているか

 

 

カレー。奴はどう作ってもルーが何とか味を調えてくれるからして、失敗しない料理だ。しないと言っては語弊があるか。失敗が少ない料理だ。安定感あるおいしさを、黙って煮詰めるだけの簡単クッキングで作り出せる。しかもそれが一週間持ったりする。すごい。

ただ、安定感があるのと、とびぬけて美味いのとは別の話で。誰が作ってもある程度おいしくできるが、至高のカレーが作れるかと言ったら、誰でも作れるわけではない。

凝ったカレーを作ろうと思えば、クミンやらガラムマサラやら、何語が語源なのかわからないスパイスを調合して作らねばならない。きっと高級ホテルなんかで提供しているハイクラスのカレーはそういうところから作っていて、だからこそ唯一無二のおいしさを得ている。

しかし、一家庭でそこまでの労力をもってしてカレーを作ることはあまりない。大体がルーだ。煮込んで、ルー。

他人の家でカレーを食べたことがあるだろうか。幼いころでも、記憶にあるだろうか。不思議なことに同じルーのはずなのに極端に家庭によって味が違うものだ。そりゃあこくまろかバーモントかジャワかの違いはあるだろう。にしたってこんなに味違いますか。記憶にある中で4つくらいの家庭のカレーを知っているが、どこも味が全然違った。

そうさせている理由は、隠し味にある。これは間違いない。

「カレー 隠し味」で検索すると、おびただしい量の隠し味が出てくる。はちみつやチョコのようなメジャーなものから、インスタントコーヒー、牛乳、生姜、マヨネーズ、ピーマン、セロリに至るまで、もう食材なら何でもいいんじゃないかってくらい隠し味として認められている。各家庭きっと発祥の地はどこであれ、独特の隠し味があり、それのためにカレーの多様性が生まれている。誰がやってもうまくできるベースがあるからこそ、カレーの懐の深さがあるからこその、多様性だろう。

 

理科の時間に習った科学の基本として、対照実験と言うものがある。調べたい要素を一つだけ変えた実験を二回行い、その要素がどう影響を及ぼしているかを調べていく手法だ。二つ以上要素を変えてしまうと、どちらが影響して変化が起こったのかわからない。もしかしたらどちらも影響した結果、変化を起こさなかったのかもしれない。

隠し味において、対照実験は行われているのだろうか。

レシピサイトの海を航海していると、隠し味のオンパレードみたいなレシピにぶち当たる。美味しいと仮定しよう。隠し味のオンパレードの結果おいしくなっていると仮定して、何に起因したおいしさなのか判然としない。味の足し算をしすぎて、肝心の要素を見失う結果になっている。

煩雑になった隠し味だ。いざ新規参入でカレー作りにチャレンジしようとすると、何を入れればいいのかわからない。もとのルーを定めて、一つずつ足し引きしていけばいいのだろうが、そんなにカレーばっかり食べていられない。多分、最先端の味検査マシーン的なそれを使えば、あらゆるうまみやコクの原因がどこにあるかがわかって、効果的な隠し味がどれなのかがわかるのだろう。だが科学の粋が突き止めたとて、食卓レベルまで下りてくるには時間がかかる。

更に言ってしまえば十人十色の舌がある。夏がダメだったりセロリが好きだったりするように。個人個人のフィルターがある上の隠し味なんて、きりがない。

 

この度作ったカレーには、チーズと生姜とウスターソースとはちみつが入った。辛口のジャワカレーをうまく中和して、そこそこの辛さに収めてくれたように思う。チーズがステキなコクを出してもくれた。

でもこれはベストじゃない。ベターでもないかもしれない。味の密林にはまだまだおいしい何かが眠っている。ここをスタートにして、謙虚に、おおきな変化も起こさずに、カレーの探検に出ていきたいと思う。

三か月後くらいにでも。