徒然雑草

踏みつけられるほどに育つ

コロコロさえあれば

今週のお題「愛用しているもの」

掃除機なんていらない。それくらいコロコロは優秀だ。クイックルワイパーだって、ダスキンだって、コロコロの前ではかすんで見える。むしろ見えない。

充電もいらなければ、取りこぼしも少ない。目立つ髪の毛や埃を一掃していく。しかも取っていったゴミたちが一目でわかる優れものだ。掃除している、掃除できている感覚に浸れる。

弱点は、強粘着のせいでフローリングに弱いこと。凸凹の地形に弱いこと。あと、あまりにでこぼこしたゴミに対しての耐性がないこと。三点である。

一点目の強粘着は、簡単に克服できてしまう。一旦自分の服をころころすればよいのだ。強粘着のコロコロが、程よい粘着に衰えた頃、フローリング上で絶大なる力を発揮するハイブリットコロコロとして機能する。

問題は後者二つである。凸凹の地形。これにはめっぽう弱い。特に溝である。コロコロがコロコロたる所以、転がりながら清掃していくスタンスでは、溝などの細い隙間には清掃の手が入りえない。絨毯のような繊維質の絡まりには強いものの、フローリングの溝や、狭い隙間には手も足もコロも出ない。この点、ダスキンが強い。だがアイツは絨毯の上ではひたすらの散らかしマシンと化すので、コロコロより優位ということはない。

また、凸凹のごみである。たとえば柿の種のような米菓。あれを落として踏んでしまったとする。粉々になる煎餅。これを掃除しようとすると、コロコロは転がれなくなってしまう。あの理想的な円運動をもたらす滑らかな曲線が崩れ、いびつな形になることでコロコロはコロコロではなくなる。その場合はもうおとなしく掃除機を使おう。プライドを捨てなければいけない場面があることを学ぶ。

しかし、あらかたどの場面でもコロコロは優秀極まりない掃除用具として立ち回る。一人暮らしを始めて早五年。どんな掃除用具よりも当番の回数が多かったのがコロコロである。クイックルワイパーが切れても、掃除機の充電が底をつき続けても、コロコロだけは在庫を保ち続けた。我が家の清潔を司り続けた。

今後もきっと、どんなに吸引力が落ちない掃除機が発売されてもコロコロを愛し、用い続けるだろう。手軽で場所を取らない形状、スタイリッシュなホワイトボディ。ちらりとのぞく金具のメタリック。どれも洗練されている。ゴキブリが何億年も進化せずに生き残り続けたように、コロコロもこの先淘汰されることなく掃除界に残るだろう。それだけ完成されアイテムであると確信している。

転がれ、ころころ。その一回りが、美化につながる。