徒然雑草

踏みつけられるほどに育つ

陸上の何が楽しいの

この問いをどれだけ受けてきたか。陸上部に長くいればいるほど尋ねられる質問だろう。走っているだけ、辛い、ゲームでもない、そしてひたすらに辛い。陸上を取り巻くイメージは、原始的かつ人間の本能をくすぐる競技の割にはポジティブではない。
確かに、箱根駅伝にしろ世界陸上にしろ、走ってるだけだし投げてるだけだし跳んでるだけだ。それをものすごく極め切ってる人たちの姿をお茶の間に垂れ流しているだけ。何が楽しいのかと。確かに思うかもしれない。
10年間競技をしていて、何で競技を続けられたかと考える。
結局、陸上競技が人並みよりも得意だった。そこに集約されると思う。
自己ベストがあるから頑張れた。練習で自分に打ち勝てた気がしたから。いい仲間に、いい指導者に恵まれたから。探しようによっちゃ理由はいくらでも出てくるし、どれも嘘じゃない。でも、本当でもない。本当のところは、勝てたことがあるからだ。陸上競技で人に勝ったことがあるから続けてこられた。
勝利は麻薬だ。一回の勝利が人を狂わせる。良くも悪くも、狂わせる。勝利も自分に勝つとかではなく、対外的な勝利こそがジャンキーになり得る。競馬とかにハマる人たちも、あれはきっと一度勝っているのだ。だからやめられない。構造としては何ら変わらない。
大学までよくそんな走れたねって、高校で勝てなかったら走らなかった。大学でどんなに打ちひしがれたって、一度勝ってしまってるから、その味をどうしても忘れられないで走っていた。
陸上競技の本当の楽しさを知っているのは、市民ランナーとか何だろうと思う。僕たち元競技者は、陸上競技のなかに入りすぎてしまっていて、あまりに酸いも甘いも知りすぎてしまっている。ジャンキーや元ジャンキーなのだ。冷静な判断なぞできやしない。だから、勝てたからとしか言えない。陸上競技が好きだったのか、勝利が好きだったのかわからないのだ。
なにがって世の中が期待するようなマゾヒストじゃないことだけは、確かである。