徒然雑草

踏みつけられるほどに育つ

備忘とこれからのために

今日未明、ばあちゃんが亡くなった。96歳。天寿を全うしたと言える年齢だと思う。子供たちが全員還暦になるまで君臨し続けた驚異の母。孫が全員成人するまで我が家の象徴としてあり続けた驚異の祖母。最年長のひ孫が間もなく成人を迎える稀有な曾祖母。それがばあちゃん。

金がないのは首がないより辛いと言い続けたがめつい商人ばあちゃん。静かな子と書いて静子という名前を見事180度どころでなく540度裏切り、おてんばかつ毒舌。「悪童世にはばかる」は彼女のためにある言葉なのではないかとまで思わせてくれた生涯だった。そう聞いている。

長生きの秘訣はやりたい放題したい放題と、ことあるごとに言っていた。なんでも放題。スマホ全盛でパケット放題が常識となった近年の傾向を大正8年生まれが先取りしていたのだ。先見の明もあったらしい。それでこそ商人。

どこまで放題をしていたのだろうか。70以上も歳の離れた最年少の孫の僕にはその神髄は知りえない。しかし、祖母の晩年に介護を行う父と叔父、母と叔母の姿を見て、あぁなるほどこれが放題かと納得した。体動かない代わりに口と頭を猛烈に働かせて自らの思うような環境を整えていく。静子をもじって指図子と呼ばれたその口撃たるや、ははぁ…とうなずかざるを得ない所業だった。

ばあちゃんは足が悪かった。僕なんかが生まれた時にはもう相当に悪かった。常時杖で歩いていた。原因はボウリングにあったと、ばあちゃんはよく語った。

ボウリングでね、やっちゃったのよ。その時カーブボールが流行っていてね。そのカーブボールを投げようとして、ターっとこうボールを投げたらステーッって転んでガーターの角っこに膝をボーン!っとやっちゃってね、ほら、こんなに膝腫れたの。

この話は、その辺のユーチューブの動画の再生回数なんて屁も同然なくらいの回数聞いた。聞きすぎて産まれてもいないのに覚えているみたいになっている。

なににつけても身体を動かすのが好きなばあちゃんだったらしい。僕が生まれてからは体はもっぱら口がフル回転していたが、その昔はボウリングはもちろんのこと、テニスだスキーだ日本舞踊だ社交ダンスはどうだったか忘れたけど、とにかく動き回っていたと。大きくもない体にはアトムよろしく核燃料でも積んでいたのだろうか。パワフルだった。片鱗は晩年も十分感じられた。

僕はばあちゃんに可愛がられた。気にかけて貰っていた。ばあちゃんの末っ子が親父で、親父が40の時の子どもが僕だ。一人っ子、唯一の内孫。そりゃあ気にもかけるのだろう。怪我しないでね。体には気を付けてね。この二点は口うるさく言われていた。度々風邪もひき、胃腸炎にもなるあたり、ばあちゃんの望む通りのほど丈夫な体かは疑問だが、必要以上に伸びた身長にはきっと大満足だったに違いない。そういえば身長大きいんだから絶対に背虫になっちゃだめよ!とも言われていたのを今思い出した。丸くなってパソコン叩いている今の様子なんか見られたら夢枕で一睡もできないほどしゃべりかけられる気がするから、ちょっと姿勢を良くしてみる。明日からは胸を張ります。許してください。

あと下ネタが大好きだった。90過ぎた女性が放つ下ネタは、上でもなく下でもない、なんとも言えない品があった。セックスに溺れてはいけませんよと、中学のころから言われていた。簡単に手を出したら男の負けよ!と。何が勝ちで何が負けなのだろうか。改めてこちらから夢枕に立って問い詰めてやりたい。こんな調子で絶対に他の人に言ってはいけないとの約束で、下ネタ的教訓をたくさん授けてくれた。死後一日経ってないけど勝手に時効にするね、ばあちゃん。ごめんよ。

大学に入るまでは毎日のように会っていた。会わないまでも、電話かなんかで声は聴いていた。なにしろ足が悪いから電話こそが娯楽であり、おしゃべりこそが生活なのだ。ばあちゃんの開口一声、「もしもし」は多分一生忘れないだろう。絶対音感があったらピアノで再現できたであろう程、脳裏と耳に焼き付いている。ばあちゃん子とまでではないものの、随分濃厚な接点があった祖母と孫だったのではないだろうか。

そんなこんなで核融合のごとく無尽蔵の生命の火を燃やしていたはずのばあちゃんだが、ついに燃料が切れたらしい。

ここ最近はだいぶ弱ってきていたと父から母から聞いていた。でも僕は死なないと思っていた。ばあちゃんは死なない人だと何処かで思っていた。何食わぬ顔で加齢を続けるその姿。2年前に脳梗塞をしてからは確かに口も重くなり、寝たきりになったものの、このままどこまでも生きていくものだと、帰省の度に思っていた。

何しろ我が家の象徴だった。天皇陛下が日本の象徴なら、我が家の象徴はばあちゃんだった。健在なときは、毎日神棚に向かって家族の無病息災と商売の繁盛を祈っていた。多分、神棚なんてない病院に行っても、最期を遂げた施設でも、ばあちゃんは祈っていたに違いない。口も動かなくなりかけても、頭の中では祈っていたに違いない。ばあちゃんだから。我が家の象徴だから。

僕たち家族は、明日からその祈りのない毎日を過ごすこととなる。神様に通じていたばあちゃんがいない世界。神様の庇護から、ともすれば外れてしまうかもしれない。でも、残された僕たちは生きていくしかない。ばあちゃんの祈りが届かない世界で生きていくしかない。どうせうちのばあちゃんだからあの世でも商売のことと健康のことばっかり考えて祈っているのだろうけど、実体がないからなんとも確たることが言えない。だから、もうばあちゃんの祈りは明日からないものとして、生きていく。途端に怪我したり、途端に商売が落ち込んだりすることのないように、ばあちゃんが安心できるように、生きていく。ある意味ばあちゃんに試されている気がする。最後の毒を吐かれている気がする。私のいない世界でうまく生きていけるのかしら。うふふ。

やってやろうじゃないのよ。あぁ、やってやろうじゃないのよ。簡単には思い出す暇もないほどの繁盛と、ガーターに膝をぶつけても壊さないほどの健康を目指してやろうじゃないのよ。

きっとばあちゃんは変わらないで働く僕たちの姿を望んでいるはずなのだ。だって何しろ金がないのは首がないのより辛いのだから。

なぁばあちゃん、そうだろう。きっとそうだろう。