徒然雑草

踏みつけられるほどに育つ

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ブログなんて書いてられっかよ

去年の今頃。某カラオケ屋さんのバイトとして小間使いのごとくコロコロカラカラ日がな一日走り回っていた。13時間なんてあほみたいな勤務体系を乗り越えたりもした。

当時、忙しいという感情を抱いていたのだろうか。きついわー。ほんと夜勤とか飲み物運ぶだけとかきついわー。とは思っていたものの、忙しい!どうしよう!忙しい!とは感じていなかった気がする。

何を隠そう、今、忙しい。繁忙期とはよく言ったもので、繁るだけならまだしも、忙しい。

忙しい・きついの感情には二種類の感じ方がある。カラオケ店のような忙しさ、きつさは、一つの事に切迫されている忙しさだ。飲み物を運ぶ。部屋を片づける。これだけの事を、猛烈なスピードでやらねばならない。酔っ払ったお客さんに催促されながら。待ち時間でイライラしたお客さんに圧を掛けられながら。しかしそこに順序立ては存在しない。よくあるパソコンのプログラムのように、淡々と1と0を繰り返していくだけの作業だ。

対して、もう一つの忙しさは複数の事を抱える忙しさ。しかもそれぞれに切迫があり、期限がある。1と0のラインが何本も用意されていて、同時進行させつつ、1と0じゃ済まされないことや、結果と責任を問われる。

学生身分の忙しいは圧倒的に前者が多い。バイト掛け持ちとか、部活とか、極端な話時間的な拘束だけで忙しいと言っているだけであり、業務内容としての忙しいではなかったりする。甘ったれた学生時代を過ごしてきたからそんな感覚を抱いているのかもしれないが。

社会人になって、ど繁忙期を経験する中で、新卒ペーペーの一年目でもありありとわかる忙しさを学んでいる。PAのように、いろんなつまみをひょいひょい上げたり下げたりしながら、仕事を進めていく。突発的なアクシデントでつまみの数が途端にとんでもなく増えたりもするが、触らなくていいつまみを一つずつ増やしていく。

多次元的な頭の構造にもう少し変えていかなければならんなぁと思う平日の朝。

家と会社の往復だけになるのがどうしても嫌でこんな文章をしたためる。ブログなんて書いてられっかってやさぐれながら、ブログに助けられる日々だ。