徒然雑草

踏みつけられるほどに育つ

比べられない疲れ

今日、ひょんなことから同僚のお姉さま方の肩もみをした。お疲れでしょう、お疲れでしょう。この若人の両手がお姉さま方の肩周りをほぐし、明日の活力に繋がるのであれば、いかようにでもお使いください。奉仕の心をもってして、お姉さま方の肩に親指を突き立てた。

皆さま、軽く引くくらいに張っていた。

若者こそ働けと、散々言われている。まだ若いんだから働きなさい。心得ているつもりではいた。ただ、その真意は掴みきれていなかったらしい。ずっとお姉様方の疲れを5掛けくらいで見積もっていた。生きているだけ疲れやすくなるのだろうか。働くだけすり減っていくのだろうか。フェイタスやらサロンパスのCMが全く冗談じゃなくなるレベルでの凝りと張り。疲れの権化であった。

長く生きて、長く働いている人への敬意が不足していたかもしれない。知ってはいたものの、理解までは至っていなかった。


僕の疲れなぞ、彼女らの抱える疲れに比べたらちっぽけもいいところだ。ゼニガメカメックス程の差がある。突然、はっとする。父親も母親も、お姉様方より年長者だ。疲れているだろうか、きっと疲れているのだろう。なんとかしてやりたいなーと思う日付変更の狭間。抱えた疲れがしょぼい疲れでも疲れは疲れだ。寝ます。回復に努めます。