徒然雑草

踏みつけられるほどに育つ

満腹と眠気のrendez-vous

ランデヴーってrendez-vousと書くのか。読めるかいな。レンデスヴォウスとしか読めない。世界一美しい言語と言われるフランス語の闇の深さをを感じる。

まぁいい。

空腹時の熊が危険なのは、獲物を探しているからだ。食べなければ生きていけない宿命を背負った我々動物は、空腹を満たすために生きており、生きるために空腹を満たしている。冬眠前に熊が血と肉を貪り尽くすのは、空腹を満たすのと同時に眠りへの下準備でもある。なんだ、つまりは、食べたら眠くなるのである。

ヤン坊マー坊以上にニコイチ極まりない満腹と眠気。眠くなってしかるべきタイミングで眠くなるのは大歓迎なのだが、朝ごはん、昼ごはんなんかは、とても寝られない状況での満腹が訪れることとなる。大人たちは、寝られない境遇にあることを知っているから、食べる量をある程度コントロールする。朝食べない人のなかには胃が受け付けません派も一定数いるだろうが、空腹の方が集中出来る派もまた一定数いるに違いない。

しかし、僕たちは大抵食べたいし、食べなければいけないと思っている。給食を思い出してみて欲しい。グリーンピースが嫌いなのに担任から食べなさいと言われ、鼻をつまみ、泣きながら食べていた彼。プチトマトとの壮絶なにらめっこが5時間目になだれ込んでまで続いた彼女。好き嫌いなくたくさん食べることを、僕たちは教育課程で刷り込まれ続けている。そのくせ大人になっていざ満腹になってみると、眠くなって何もできないからセーブしてみたり、太るからと言って食べないでいたり。幼い頃の不文律がいとも簡単に崩され、少食こそ燃費も良く、正義のように扱われている。


本日、幸か不幸か、朝食を満腹になるまで頂いた。目の前のシャケを、牛肉を、これでもかと食べた。ひとえに昨晩上京してきて飲み会の挙句に二日酔いの父の食べきれない分を頂いただけなのだが。これが今、僕を苦しめる。眠い。体が重い。

今朝の食べっぷりを小学校の担任が見たらきっと褒めてくれただろう。だが今の上司は僕の今日の動きを褒めはしないだろう。

正義はどこにあるのでしょうか。