徒然雑草

踏みつけられるほどに育つ

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物事の本質をいかに掴むか

恐ろしく例えの上手い人がいる。言い得て妙的な比喩が上手いとかではなく、ことわざになり得るような、ものの本質をズバズバっと平易な言葉で表せる人だ。

出会うたびに、頭がいいものだなぁと思う。世の中のあらゆる事象に対しての本質をしっかりと理解していないと、それぞれを繋ぎ合わせることは難しい。つまり、誰にでもわかりやすく説明ができるということは、誰よりも自分が本質を理解している裏返しであるわけだ。逆に何言ってんだこいつと思われてしまうのであれば、すなわち自分がきちんと理解していないのに等しい。

久々に学生時代の友達と会ったりすると必ず浮上する今何やってんのトーク。ここで自分のやっていることをどれだけわかりやすく説明できるかで、自分の仕事に対する理解がよくわかる。日々のお仕事の中では、目の前に現れるハードルを越えて越えて走っているつもりなのに、全く違う競技をしている人にどんな競技をしていてどんなハードルを越えているのかを説明しようとすると、途端に自分の成し得ていることがあやふやになったりする。自分の仕事をわかっていないのだ。

雑多な業務に追われていると、簡潔に話せと言われても窮する。それでも仕事を理解できている人は、多少言葉数が多くなれど初心者にもわかりやすい言葉で説明する。こうなりたいものだなぁと思う。

やはり、復習なのだろう。次に何を売るかとか、何を仕掛けるかとか、前に前に思考を持っていくことは商売の基本だが、振り返らないで突き進みすぎると自分の轍がどこを通って何をしてきたのか訳が分からなくなる。エネルギッシュに前進しながら仕事を振り返れたら、それに越したことはない。凄い人だと思う。でも見事に目が前に着いてしまっているが故、進もうと思ったら体は前を向くし、振り返ろうと思ったら首は後ろを向く。同時にできるほど器用ではない。

バイタリティに溢れ、そこら中飛び回りながら仕事も私生活もガッチガチにこなす人が賢いとは限らない。しっかり暇を設けて、暇を暇だけに終わらせず、頭とお仕事を整理できる人こそ、賢いのだと、今は思う。100の量をこなして60を得るのと、70をそつなく復習して70得るのとだと後者の方が身になっているわけだ。

近いうちに整えてみようと思う。自らを。