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徒然雑草

踏みつけられるほどに育つ

こち亀連載終了と聞いて

こち亀が終わると言う。これは実家が書店の身としては何かをしたためなければならないと、退勤後の疲労を押して、帰宅ラッシュとは程遠い電車の中でiPhoneを握っている。

少年ジャンプにはとてもお世話になった。初めて買ったジャンプを今でも覚えている。1999年の40号。ヒカルの碁が巻頭カラーだった。ちょうど塔矢アキラとsaiがネット碁で対戦した回である。僕はその号から1号も休まず、2011年の15号までジャンプを読み続けた。小学生の頃がジャンプ熱のピークだった。その年のジャンプの表紙を見たら、何号か即答できるくらいにジャンプを読み込んでいた。ブリーチとアイシールド21の連載開始にはワクワクした記憶がある。これは売れると子供ながらに確信していた。べるぜバブも新人作家の中では軍を抜いて面白かった。世紀末リーダー伝たけしが、作者しまぶーの淫行による逮捕で強制終了になった衝撃は今でも忘れられない。1番好きな漫画は今でもたけしだ。たけしに影響されて小学生の頃飼ったザリガニの名前がたけしだった。たけしの墓は今でもうちの庭にある。なんなら飼っていたハムスターの名前がボスだったのも、たけしの登場人物ごんぞうの通称から取ったものであった。ボスの墓は今でもうちの庭にある。

たけしの話はいいとする。

盛者必衰が尽きない週間連載。蛍火のように、パッとついてスッと消える儚い命である。その中で煌々と輝き続けたのがこち亀である。ジャンプの生き字引であり、あらゆる漫画の始点と終点を見守り続けた作品だ。目立ったストーリーもなく、人間関係だけがプロットとして存在して、その箱庭の中でテーマに沿って登場人物が動き回る。オムニバス形式で展開されるこち亀のストーリーは、時代を映し続けていた。ファンタジーにはかならず物語があり、川上から川下へと話が流れていき、作者が設定した終点が必ずあるのだが、こち亀は時代の流れが話の流れであったため、ある種終わりの見えない作品でもあった。時代に任せる戦法に成功した漫画として、サザエさんやちびまる子、クレヨンしんちゃんがある。それら多くが作者が手を引いてからもずっと続いている作品のため、こち亀も同じレールに乗っていくものだとばかり思っていた。

しかしこの度、こち亀は終わりを迎える。

僕が東京に出てきて6年。本屋の実家から離れ、6年。ジャンプを買わなくなって、6年。

この6年の間でこち亀にどのような展開があったのか僕は全く知らない。もしかすると知らないところで徐々に徐々に風呂敷をたたみ始めていたのかもしれない。見守り続けたわけでもなかったが、いざ終わるとなると寂しいものである。久しぶりに帰った地元に知らない建物が建ち、知ってる建物がなくなったときのような疎外感。なんともいえないが。

多分僕の今のボキャブラリーを育んだのがジャンプであり、会話が主たるこち亀は、その中でも多大に僕の発育に貢献してくれたに違いなかった。親戚のおばちゃんのような距離感で見守ってくれていたような気がするこち亀。日常の面白さを教えてくれ、面白い言葉回しを伝えてくれたこち亀

読み返すことはなくとも、いつまでも残り香のようなものが僕の中に留まり続けるに違いない。