徒然雑草

踏みつけられるほどに育つ

早朝ランニング

9月初旬に心を入れ替え、とぼとぼとジョギングを始めてから、おおよそ一ヶ月。飲み会のうねりに飲まれそうになりながらも、1週間のうちに少なくとも5日は走る日々が続いている。執念である。

目に見えて太ったわけでもなければ、体調が悪くなったわけでもない。目に見えて太った友人が走るというから、なんとなく悔しくなって走り出した、薄っぺらな動機付けだが、それなりそれなりに続いている。

ルーティンとしては、朝起き、活動できる気がした瞬間に、布団を片付け、退路を絶って、走る着に着替えて即出かける。7時に起きれば7時5分には。6時半に起きれば6時35分にはもう娑婆にでている。何事も勢いが大事なのだ。

このブログも収益化を狙って書いているわけじゃないからただ続けているだけだし、弁当を持っていくのも大それた節約になっているわけでもない。目標を決めて、ひたすらに邁進していくことで継続を図ることこそ、継続の秘訣だと言う論調が大勢を占める昨今だが、割とそんなことはない。ゆるーく続けようと思えば、全然続けられてしまうものである。


早朝の公園における人間模様は面白い。普通のサラリーマン生活をしていてはきっとすれ違わないであろう層の人々に紛れる。やはり、犬の散歩とウォーキングが多いが、週何回かは気功なのか太極拳なのか、スローな演舞をしている人々とすれ違う。なかでも出色の存在感を示しているのが、おそらく元体操選手のおじちゃんだ。公園の遊具でF難度の大技を決めまくっている。見ようによっては平行棒に見えなくもない、無垢な子供達のための遊具が、彼にかかれば間違いなく平行棒となる。見ようによってはつり輪に見えなくもない、元気っ子たちのためのぶら下がり遊具が、彼にかかれば間違いなくつり輪となる。彼は何を目指しているのか。犬とその主人と僕しか見ていないような公園でのF難度。意味もないのに、訳もないのに、よく体をプルつかせながら静止していると思う。物好きだ。物好き極まりない…

努力の矛先がないのは、自らも一緒であった。