徒然雑草

踏みつけられるほどに育つ

毛布に連敗する日々

我が家の毛布はなかなかに性能が良い。昭和西川の毛布なのだが、肌触りが特Aである。クジラの胃袋とかが昭和西川の毛布でできていたら喜んで飲み込まれて消化されたい。

時期的に毛布を出された方が多いだろう。概して毛布は気持ちがいいものだ。寒い外気とは断絶されたユートピア。全く外に出ようなんて気にならない怠惰。祖母譲りの昭和西川なんて身分不相応の肌触りを獲得してしまったら尚のことである。

気持ちいいと気持ち悪いで、人間あらかたのことを判断してしまっている節があるなと、気持ちいい布団の中で、本日のランニングを諦めながら思った。本能なのだろう。仕方がないことなのだろう。暑いのと寒いのだったらどっちがいい?って訊かれても、適温が良いに決まっているのだ。すべすべとふわふわをもちもちに囲まれ、適温の中、ぬくぬくしていたいのが本心なのだ。

特に生命活動の危機とされる冬の時期は気持ちいいへの渇望が高まる。何もしていなくたって死にそうな気温が口をがっぱり開けて待っているというのに、努力努力仕事仕事と急き立てられることこそ野暮というものだ。気持ちいいに囲まれて生きていたくなる。

 

これからの季節、僕は走り続けることができるのだろうか。一日の中で最も寒いとされる早朝に、ぬくぬくの昭和西川を背にし、テキパキと支度をして走り続けられるのだろうか。相当の律し方をしなければ連戦連敗の未来が見えている。このランニングを続けた先にサヨナラ満塁ホームランが待っているのなら話は別だが、待っているのは茫漠たるお仕事砂漠である。モチベーションの水平飛行だ。やる気に満ちる何かを作らなければと思う。だからといってマラソンに出ようなんて微塵も思わない。そもそもマラソン大会大嫌い人間だ。誰が金を払ってまで苦しみを得に行くのだろうか。無料の幸せ・昭和西川が部屋にあるというのに。

そういえばサヨナラ満塁ホームランも西川が打ったんだった。寝ていた方がホームランに近づけるのかもしれない。