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徒然雑草

踏みつけられるほどに育つ

自適への渇望

秋の夜長、星空の下、ウッドデッキの上、リクライニングの効く椅子にもたれ、毛布でも掛けてあったかくして、隣のテーブルには間接照明とコーヒーが置いてある。全くもって難しくない本を読みながら、暇を自由に過ごす。少なくとも、次の日は仕事がない。コーヒーを飲んで眠れなくなったってそれはそれで構わない。

乏しい想像力をもってして描く、最大限の自適。こんな生活をしてみたい代表格。

小春日和、寝不足、まどろみの中、例のウッドデッキの上、リクライニングの効く椅子にもたれ、とりあえずギターを弾いているんだけれども、まぶたの落下と戦い続ける。隣のテーブルにはやはりコーヒー。


自適への渇望がある。好きなものに塗れながらも、なんの心配事からも解放されたような瞬間に憧れる。だが、きっと実現したところで、虚しさが募るだけであろうことは、これまでの予定がない休日を鑑みるに、想像に難くない。十分な金があり、自宅も理想の家で、向こう2世代くらいは食うに困らない生活が見通せたとして、果たして働くのをやめるだろうか。自適を欲する心のままに、僕は生きるのだろうか。光があるから影ができる理論のごとく、ウィークデイがあるからホリデイがあるとする。ウィークデイが光か。ホリデイが光か。仕事のために生きるのか。生きるために仕事をするのか。


新庄剛志が、まさに今悠々自適な生活をバリ辺りで送っていると聞いている。ワールドシリーズにも出て日本一にもなった、一流の野球センスに超一流のカリスマ性を備えた彼が、余生をどういった気持ちで過ごしているのだろう。興味深い。

懸念が急き立てるように押し寄せてくる日々だが、ぼちぼちの休みを貰えている点を考えると、きっと悪くはない生き方の最中にいるのだろう。時折の適度な自適を貪りながら、汽笛を鳴らす。