徒然雑草

踏みつけられるほどに育つ

青信号の灯らない信号機の青信号の気持ち

大きな交差点に彼はいる。赤黄青の下を矢印ランプに占拠された彼。大動脈同士が交差しているものだから全方向に自由に進んでいい許可を出すわけにもいかず、「直進と左折」「右折」に分けて進行を許している。その結果、青信号が灯ることはない。

どんな気持ちなんだろうか。灯ることのない青信号。

赤で右折のランプが灯っている。右折の列で並んでいた車が反比例のグラフを描くように交差点を曲がっていく。大きな交差点になればなるほど右折の列は溜まりがちになるので、結構な遠心力をかけて曲がる。ぞろぞろと進んだ後、信号が黄色に変わる。根性が座った右折したい車はそれでも突っ込んでいく。ご苦労なことである。都会人は忙しい。そして静かに赤になる。

待機していたのは交差していた道路の車たち。さぁ直進。いざ左折。各々信号が灯るのを待つ。何信号か?愚問だろう。青信号を待っているのだ。逆に青信号も灯るのを待っている。車たちを進ませるために。忙しい都会人の貴重な時間を留めることのないように。

しかしパッと灯ったのはご存知、直進と左折の矢印ランプである。ブルペンで肩を温めまくっていた青の出番はなく、直進と左折の矢印ランプが都会の道を仕切る。秘密で終わる秘密兵器とはこのことか。村上春樹ノーベル文学賞を逃し続けるが如く青信号は点灯のチャンスを逃し続ける。生涯寸止めをされ続ける青信号。飼い殺し。生殺し。赤と黄だけでは体裁を保たないからって装飾としてつけられたような青。気の毒だ。田舎の青信号が羨ましいに違いない。果てしなく続く一本道の果て、数十キロぶりに出会った信号に捕まり、青信号を待つドライバー。その期待にバッチリ答える青信号。毎日元気に点灯している。

弱小チームのエースを張るか、強豪の控えに甘んじるか。鶏口牛後を考えさせられる。何が言いたいかって、別に本田もミランにこだわらなくていいんじゃないかなって話だ。