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徒然雑草

踏みつけられるほどに育つ

ひとつの時代の終わり

祖母が認知症を患ってから久しい。6,7年前から前兆に似た違和感を周囲の人は感じていたように思う。彼女はゆっくりゆっくり物を忘れ、所作を忘れ、人を忘れて、ついに先々月、床に根が生えた。

僕は何も介護をしていない。電車に乗って一時間ちょっとの場所に住んでいるが、特別な何をするわけではない。孫として、たまに愛嬌を振りまきに行くくらいなものである。だから、祖母の症状についてどうこう言うつもりもないし、祖母がどうなったらいいとか、どうなるべきだとかって言う筋合いもない。祖母含め、周りの家族友人たちが一番幸せに楽に生きていける道が見つかればいいなぁと、他力も他力の本願をするに過ぎない。

ちょっと周りに目をやると、元気なおじいちゃんやおばあちゃんも目につくが、それと同じくらい、弱ってきたおじいちゃんおばあちゃんも多く目につく。祖母の周りでもそうだ。認知症然り、内蔵の不全、四肢の萎え。四方八方から不調が襲ってきて、抗いようもなく蝕まれていってしまう。そりゃあ80幾年も身体と頭を使っていたらいくらでも不具合が発見されるのだろう。僕が今叩いているパソコンはまる6年でなかなかの悲鳴を上げているのだ。人間は優秀だ。

僕は元気な頃の祖母やその友人を知っている。彼ら彼女らがどんどんと弱っていく今日このごろ。一つの時代が大きく息を吐きながら終わりに向かっている感覚を強く覚える。

昭和一桁生まれ。戦争を物心ついて覚えている最後の世代。

「私達の時代は良かったわよぉ」会社の食堂とかで50歳そこそこのお姉さまと話しているとよく聞くセリフだ。バブルに沸いて、課長ともなれば相当裕福な生活ができたことや、夜な夜なディスコに踊りに行ったこと。2日は寝ないで遊んでいたこと。景気が良かったのだろう。僕は羨望の眼差しで彼女らを見る。懐かしむように愛しむように昔話をするけれど、彼女らの時代はまだ終わっていない。「私達の時代は良かった」と語る相手も、共感する相手も、たくさんいる。でも祖母の時代は、いよいよもって語り合う相手がいなくなってきている。例えば、語り部としてとびきり元気なおじいちゃんとかが戦争体験を公演して回っているかもしれない。文筆達者なおばあちゃんが思い出を何処かの雑誌に寄稿しているかもしれない。そうして気がつけば、「自分の時代」について語る事がとっても特別なことになって行く。「こんな貴重な話をしてくれるなんて。」「なかなか聞けないお話をありがとうございました。」食堂で語られる何気ない光景は失われ、特別になり、絶滅危惧種となって、息絶えていく。

生まれて初めてこうした時代の終焉を眼前にしているように感じている。寂しいなぁとか、悲しいなぁとかの感情ではなく、もはやそれは恐怖だ。今まで何千回と繰り返されてきたであろう時代の終わり。乳歯が生え変わるように、ボロボロと時代の担い手が抜けていく様を目撃している。また一方で一つの時代の終わりは、一つの時代の始まり、つまり、僕達の時代の始まりを意味しているのもわかる。平成初期によって語られる時代がこれから始まり、いつか終わる。

語られることのなくなっていく時代に、思い出すらも手の中から滑り落ちて行ってしまう祖母。反芻されない歴史は薄れる。母が生まれて、僕が生まれている事実が何よりの祖母が生きた証左であるけれど、次第に血のつながりと存在しか証拠が無くなっていく。当然だ。誰もが認める当然のことだ。でもそれを眼前に突きつけられると、やはり怖い。

半ば逆説的に、頑張って生きようと思った。嫌でも語られなくなっていく時代と人生なら、せめて生きているうちにでも、いい時代だったと、いい人生だったと言えるように生きていこう。祖母の激烈な生き様や時代が僕の中で収斂していった結果が「頑張って生きよう」なのが甚だ苦しいが、どうしてもそれ以外でてこなかった。