徒然雑草

踏みつけられるほどに育つ

惚れた腫れたの過ちで

時間を忘れて没頭していたことに飽きた時、何やってたんだろう…って思ったことはあるだろう。僕自身、少年時代に親の脛を食い散らかしてまであんなに熱中した遊戯王カードに今は見向きもしないし、パワプロも、ウイニングイレブンも、やらなくなった。その代わり、傍にパソコン、傍にギターを携えて、それらしき曲を作るようになった。

今の今まで必死に曲を作って、出来て、聴いて、満足をしていた。自分から生まれた曲である。logicというソフトがなければ出来ないし、そもそもiMacがなければ作れないのだけれど、すべての道具が揃っていたとしても何より僕がいなきゃこの曲は生まれなかった。唯一無二。母なる愛おしさを曲には感じるものなのだ。

ふと、全く違うことをしてみて、曲の出来栄えを忘れた頃に改めて、さっきまで愛おしくて愛おしくて最高傑作だと信じて疑わなかった曲を聴いてみると、思いの外大したことなかったことに気がつく。アラが見えてくる。歌ね下手じゃん。ギターガサガサじゃん。

惚れた腫れたの過ち。あんなに好きだったことが、人が、モノが、なんでもなかなってしまうように、生まれ落ちた曲も結構早い段階でしれーっとなんでもない存在になる。その時こそ、曲が本当に聴こえてくる。苦労とかを差っ引いた曲そのものと出会わなければ、本当にいいものは生まれてこない。

社外取締役の役目もそんな感じなのだろう。いかんせん、我が社には盲目になってしまいがちだ。数十年分の苦労。可愛くないわけがない。冷静な目がないとおかしくなってしまう。興味のない目、冷静な目を通しても揺るがないものを作らなきゃダメだ。目指さなきゃならない。

日々是成長、日々是鍛錬である。