徒然雑草

踏みつけられるほどに育つ

社会から「なんでもない時間」が消えた

待ち人来ず。最近こそすぐ連絡取れちゃうから悩むことはなくなったが、携帯電話なしの待ち合わせはなかなか難しい。咄嗟の出来事でいくらでも時間はずれ込む。

この度、珍しくそうしたのんびり待ち合わせを行なった。「今どこで何をしているのでこれくらいの時間に着きます」と、リアルタイムで所在を伝えることをせず、来た時が会う時で、すべての状況がわかるときという古来の待ち合わせである。

折角だからとスマホをしまって、待ち人中をひたすらにぼんやりとした。それは本当になんでもない時間だった。今、社会から失われつつある時間だ。

びっくりするくらいに四六時中何かが出来てしまう。待ち時間にスマホ、歩きながら音楽、家ではパソコン、テレビ。出来てしまうから、やらなきゃ損なような気がする。別に見たいわけじゃないネットニュースを見る。見られらから見る。何もしていないことがどうももったいない感じがするから、親指を動かしたり、耳を忙しくしたりさせる。

多分現代人の大半は寝ている以外で何かをしていない時間がほぼない。古き良きを踏襲すべきとは思わないし、それが時代の流れであると言うなら、そうだ。でも、なんでもない時間を本当に久々に過ごしてみて、悪くなかった。小さい頃の日曜日、朝早くに誰か来るかもしれない公園に1人で行って、誰かをあてどなく待っていた時の気持ちを思い出した。なんでもない時間を過ごしていたあの景色は、今も心象風景として胸の奥に閉じ込められている。

20年後の未来、社会人駆け出しの頃の景色がスマホになってしまうのは、少し寂しい。

なんでもない横浜の景色はスマホよりも何処か良いように映った。