徒然雑草

踏みつけられるほどに育つ

浴衣は視覚の涼

今日の帰り道、浴衣の集団と出会った。正面衝突だった。飛行機が雲の中に消えて行くがごとく、しなびたスーツ着て虚ろな足取りのサラリーマンが赤白緑青色とりどりな浴衣の積乱雲に突っ込んだのだった。

浴衣に独特のフェチズムを感じたことはない。和装は好きだけど、浴衣が好きでたまらない!花火といえば夏といえば浴衣!みたいな盲信は持っていない。しかし今日、浴衣の乱気流に巻き込まれてみて、浴衣は視覚から取り入れる涼なのだという考えが飛来してきた。気流に乗って。

北海道の夏に青春があるから、きっと僕は浴衣が恋しくないのだ。北海道の夏の夜は涼しい。寒い寄りの涼しいである。黙っていても乾いた風が流れる。湿気がない。本州の、東京の夜は全く違う。熱帯だ。ジメジメムシムシ。どう背伸びしたって気候から涼を取り入れられない本州の人たちが選んだ道が、せめて他の五感は涼しくあろうとする道だった。風鈴しかり、冷麦やそうめんしかり。

皮膚からではない、視覚からの涼。それが、浴衣だ。

びっくりするくらいジメジメと浴衣は相性がいい。着ている人はどうかわからないが、みている人からすると不思議なほどだ。鮮やかな色使いが多い。高温多湿には鮮やかさが求められでもしているのだろうか。大好きな図鑑に載っているアマゾンの動物連中はみんな毒々しい。そのギトギトした色使いと艶やかさとの間をうまくたゆたっているのが浴衣だ。アマゾンほど苦しい気候ではないけど、モタッとする日本の夏。本州の夏。浴衣は馴染む。当然そこにあるような存在感を放つ。

いよいよ夏が始まるなぁと思う。いつでもどこでも夏を感じられる場所にいる。海もある、花火大会も国内最大級のがすぐそこである。でも僕に夏の始まりを告げたのは浴衣だった。それこそカラフルな積乱雲がもたらす夏。

そういうわけでエアコンをつけました。めちゃ涼しい快適幸せ。