徒然雑草

踏みつけられるほどに育つ

「どんなタイプの子が好きなのか」というフェルマーの最終定理

この質問に対する適切な答えを用意できないまま生きてきた20余年。居酒屋等で尋ねられることが多いが、真剣に答えようとすると独演会にならざるを得ないし、軽〜く答えようとすると空を掴むような話になった末にあらぬ誤解をかけられたりもする。えらく難しい問題である。

正直なところ、自分の方が聞きたい。果たして自分という人間はどんな人が好きなのか。どんな人を求めているのか。出会ったり別れたり別れたと思えば出会ううちに、自分が考えていた好みのタイプ増はどんどんボヤけてくる。そりゃあ大まかには好きな顔とか合う性格とかはあるだろう。しかし当該の質問に答える際、「こんな顔が好きでこんな性格が好き」みたいな話をする度に果たして自分は誰の何の話をしているのかわからなくなる。「こんな顔が好きでこんな性格でこんなスタイルで耳たぶがこうで声色がああで。」という理想像は、「焼き魚の香ばしさとシチューのコク、そこにゲルニカみたいなメッセージ性、また、perfumeのようなポップさが感られるようなものが好き」と言っているようなものであろう。とっ散らかりの極みだ。

好みの条件を羅列する好きなタイプ論では、きっと好きなタイプを語れない。異種格闘技戦が繰り広げられ続けるのみとなってしまう。

じゃあ何が好きなのだろうって、結局のところタイプとかで測れるものではなく、青天の霹靂と神の啓示に委ねるしかないんじゃないか。何者かがこよった糸に絡まって、出会った人がタイプでした。それでいいんじゃないか。むしろ、それがいい。

ここまで考えて、やっぱり居酒屋で軽く話せる話じゃねーなとの意を固くした。